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ベースボール

  • 2009/12/08(火) 08:38:16

 ベースボール に至りてはこれを行う者極めて少くこれを知る人の区域も甚(はなは)だ狭(せま)かりしが近時第一高等学校と在横浜米人との間に仕合(マッチ)ありしより以来ベースボールという語ははしなく世人の耳に入りたり。されどもベースボールの何たるやはほとんどこれを知る人なかるべし。ベースボールはもと亜米利加(アメリカ)合衆国の国技とも称すべきものにしてその遊技の国民一般に賞翫(しょうがん)せらるるはあたかも我邦(わがくに)の相撲(すもう)、西班牙(スペイン)の闘牛(とうぎゅう)などにも類せりとか聞きぬ。(米人のわれに負けたるをくやしがりて幾度(いくど)も仕合を挑(いど)むはほとんど国辱(こくじょく)とも思えばなるべし)この技の我邦に伝わりし来歴は詳(つまびら)かにこれを知らねどもあるいはいう元新橋鉄道局技師(平岡※(「にすい+熙」、第3水準1-87-58)(ひらおかひろし)という人か)米国より帰りてこれを新橋鉄道局の職員間に伝えたるを始(はじめ)とすとかや。(明治十四、五年の頃(ころ)にもやあらん)それよりして元東京大学(予備門)へ伝わりしと聞けどいかがや。また同時に工部大学校、駒場(こまば)農学校へも伝わりたりと覚ゆ。東京大学予備門は後の第一高等中学校にして今の第一高等学校なり。明治十八、九年来の記憶(きおく)に拠(よ)れば予備門または高等中学は時々工部大学、駒場農学と仕合いたることあり。また新橋組と工部と仕合いたることもありしか。その後青山英和学校も仕合(マッチ)に出掛(でか)けたることありしかど年代は忘れたり。されば高等学校がベースボールにおける経歴は今日に至るまで十四、五年を費せりといえども(もっとも生徒は常に交代しつつあるなり)ややその完備せるは二十三、四年以後なりとおぼし。これまでは真の遊び半分という有様なりしがこの時よりやや真面目(まじめ)の技術となり技術の上に進歩と整頓(せいとん)とを現せり。少くとも形式の上において整頓し初めたり。すなわち攫者(キャッチャー)が面と小手(こて)(撃剣(げきけん)に用うる面と小手のごとき者)を着けて直球(ジレクトボール)を攫(つか)み投者(ピッチャー)が正投(ピッチ)を学びて今まで九球なりし者を四球(あるいは六球なりしか)に改めたるがごときこれなり。次にその遊技法につきて多少説明する所あるべし。
(七月十九日)

 ベースボールに要するもの はおよそ千坪ばかりの平坦なる地面(芝生(しばふ)ならばなお善(よ)し)皮にて包みたる小球(ボール)(直径二寸ばかりにして中は護謨(ゴム)、糸の類(たぐい)にて充実(じゅうじつ)したるもの)投者(ピッチャー)が投げたる球を打つべき木の棒(バット)(長さ四尺ばかりにして先の方やや太く手にて持つ処(ところ)やや細きもの)一尺四方ばかりの荒布にて坐蒲団のごとく拵えたる基(ベース)三個本基(ホームベース)および投者(ピッチャー)の位置に置くべき鉄板様の物一個ずつ、攫者(キャッチャー)の後方に張りて球を遮るべき網(高さ一間半、幅(はば)二、三間位)競技者十八人(九人ずつ敵味方に分るるもの)審判者(アムパイア)一人、幹事一人(勝負を記すもの)等なり。

 ベースボールの競技場 図によりて説明すべし。



 直線いほ及びいへ(実際には線なし、あるいは白灰にて引く事あり)は無限に延長せられたるものとし直角ほいへの内は無限大の競技場たるべし。但(ただ)し実際は本基(ホームペース)にて打者(ストライカー)の打ちたる球の達する処すなわち限界となる。いろはには正方形にして十五間四方なり。勝負は小勝負九度を重ねて完結する者にして小勝負一度とは甲(こう)組(九人の味方)が防禦(ぼうぎょ)の地に立つ事と乙(おつ)組(すなわち甲組の敵)が防禦の地に立つ事との二度の半勝負に分るるなり。防禦の地に立つ時は九人おのおのその専務に従い一、二、三等の位置を取る。但しこの位置は勝負中多少動揺(どうよう)することあり。甲組競技場に立つ時は乙組は球を打つ者ら一、二人(四人を越(こ)えず)の外(ほか)はことごとく後方に控(ひか)えおるなり。

(い) 本基(ホームベース)
(ろ) 第一基(ベース)(基を置く)
(は) 第二基(基を置く)
(に) 第三基(基を置く)
(一) 攫者(キャッチャー)の位置(攫者の後方に網を張る)
(二) 投者(ピッチャー)の位置
(三) 短遮(ショルトストップ)の位置
(四) 第一基人(ベースマン)の位置
(五) 第二基人の位置
(六) 第三基人の位置
(七) 場右(ライトフィルダー)の位置
(八) 場中(センターフィルダー)の位置
(九) 場左(レフトフィルダー)の位置

 ベースボールの勝負 攻者(防禦者の敵)は一人ずつ本基(ホームベース)(い)より発して各基(ベース)(ろ、は、に)を通過し再び本基に帰るを務めとす、かくして帰りたる者を廻了(ホームイン)という。ベースボールの勝敗は九勝負終りたる後ち、各組廻了の数の総計を比較し多き方を勝とするなり。例えば「八に対する二十三の勝」というは乙組の廻了の数八甲組廻了の数二十三にして甲組の勝なりという意なり。されば競技者の任務を言えば攻者(こうしゃ)の地に立つ時はなるべく廻了の数を多からしめんとし、防者(ぼうしゃ)の地に立つ時はなるべく敵の廻了の数を少からしめんとするにあり。廻了というは正方形を一周することなれどもその間には第一基(ベース)第二基第三基等の関門あり各関門には番人(第一基は第一基人これを守る第二第三皆(みな)しかり)あるをもって容易に通過すること能(あた)わざる也(なり)。走者(ラナー)(通過しつつある者)ある事情のもとに通過の権利を失うを除外(アウト)という。(普通に殺されるという)審判官(アムパイア)除外と呼べば走者(または打者(ストライカー))は直(ただ)ちに線外に出(い)でて後方の控所(ひかえじょ)に入らざるべからず。除外三人に及べばその半勝負は終るなり。故に攻者は除外三人に及ばざる内に多く廻了(ホームイン)せんとし防者は廻了者を生ぜざる内に三人の除外者を生ぜしめんとす。除外三人に及べば防者代りて攻者となり攻者代りて防者となる。かくのごとくして再び除外三人を生ずればすなわち第一小勝負(インニング)終る。かれ攻(せ)めこれ防ぎおのおの防ぐ事九度、攻むる事九度に及びて全勝負(ゲーム)終る。

 ベースボールの球 ベースボールにはただ一個の球(ボール)あるのみ。しかして球は常に防者の手にあり。この球こそこの遊戯の中心となる者にして球の行く処すなわち遊戯の中心なり。球は常に動く故に遊戯の中心も常に動く。されば防者九人の目は瞬時も球を離るるを許さず。打者走者も球を見ざるべからず。傍観者もまた球に注目せざればついにその要領を得ざるべし。今尋常(じんじょう)の場合を言わば球は投者(ピッチャー)の手にありてただ本基(ホームベース)に向って投ず。本基の側には必らず打者(ストライカー)一人(攻者の一人)棒(バット)を持ちて立つ。投者の球正当の位置に来れりと思惟(しい)する時は(すなわち球は本基の上を通過しかつ高さ肩(かた)より高からず膝(ひざ)より低くからざる時は)打者必ずこれを撃(う)たざるべからず。棒球(ボール)に触(ふ)れて球は直角内に落ちたる時(これを正球(フェアボール)という)打者は棒を捨てて第一基に向い一直線に走る。この時打者は走者(ラナー)となる。打者が走者となれば他の打者は直ちに本基の側に立つ。しかれども打者の打撃(だげき)球に触れざる時は打者は依然(いぜん)として立ち、攫者(キャッチャー)は後(一)にありてその球を止めこれを投者(ピッチャー)に投げ返す。投者は幾度となく本基に向って投ずべし。かくのごとくして一人の打者は三打撃を試むべし。第三打撃の直球(ジレクトボール)(投者の手を離れていまだ土に触れざる球をいう)棒(バット)と触れざる者攫者(キャッチャー)よくこれを攫(かく)し得ば打者は除外(アウト)となるべし。攫者これを攫し能わざれば打者(ストライカー)は走者(ラナー)となるの権利あり。打者の打撃したる球(ボール)空に飛ぶ時(遠近に関せず)その球の地に触れざる前これを攫する時は(何人にても可なり)その打者は除外となる。

(未完)

(七月二十三日)



 ベースボールの球(承前) 場中に一人の走者(ラナー)を生ずる時は球(ボール)の任務は重大となる。もし走者同時に二人三人を生ずる時は更(さら)に任務重大となる。けだし走者の多き時は遊技いよいよ複雑となるにかかわらず球は終始ただ一個あるのみなればなり。今走者と球との関係を明かにせんに走者はただ一人敵陣(てきじん)の中を通過せんとするがごとき者、球は敵の弾丸(だんがん)のごとき者なり。走者は正方形(前回の図を参照すべし)の四辺を一周せんとする者にして一歩もこの線外に出ずるを許さずしかしてこの線上において一たび敵の球に触るれば立どころに討ち死(除外(アウト))を遂ぐべし。※(始め二重括弧、1-2-54)ここに球に触るるというは防者の一人が手に球を持ちてその手を走者の身体の一部に触るることにして決して球を敵に投げつくることに非ず。もし投げたる球が走者に中(あた)れば死球(デッドボール)といいて敵を殺さぬのみならずかえって防者の損になるべし※(終わり二重括弧、1-2-55)されば走者がこの危険の中に身を投じて唯一(ゆいいつ)の塁壁(るいへき)と頼(たの)むべきは第一第二第三の基(ベース)なり。けだし走者の身体の一部この基(坐蒲団(ざぶとん)のごとき者)に触れおる間は敵の球たとい身の上に触るるも決して除外とならず。(この場合において基は鬼事(おにごと)のおかのごとし)故に走者はなるべく球の自己に遠かる時を見て疾走(しっそう)して線を通過すべし。例えば走者第一基にあり、これより第二基に到(いた)らんとするには投者(ピッチャー)が球を取て本基(の打者(ストライカー))に向って投ずるその瞬間(しゅんかん)を待ち合せ球手を離るると見る時走り出すなり。この時攫者(キャッチャー)はその球を取るやいなや直ちに第二基に向って投ずべく第二基人(ベースマン)はその球を取りて走者に触れんと擬(ぎ)すべし。走者は匆卒(そうそつ)の際にも常に球の運動に注目しかかる時直ちに進んで険を冒(おか)し第二基に入るか退いて第一基に帰るかを決断しこれを実行せざるべからず。第二基より第三基に移る時もまたしかり。第三基より本基(ホームベース)に回る時もまたしかり。但(ただし)第三基は第二基よりも攫者に近く本基は第三基よりも獲者に近きをもって通過せんとするには次第に危険を増すべし。走者(ラナー)二人ある時は先に進みたる走者をまず斃(たお)さんとすること防者が普通の手段なり。走者三人ある時はこれを満基(フルベース)という。(一基に走者一人以上留まることを許さず故に走者は三人をもって最多数とす)満基の時打者が走者となれば今までの走者は是非(ぜひ)とも一基ずつ進まざるべからず。これ最も危険なる最も愉快(ゆかい)なる場合にしてこの時の打者の一撃(いちげき)は実に勝負にも関すべく打者もし好球を撃(う)たば二人の廻了(ホームイン)を生ずることあり、もし悪球を撃たば三人ことごとく立尽(スタンジング)(あるいは立往生という)に終ることさえあるなり。とにかく走者多き時は人は右に走り左に走り球は前に飛び後に飛び局面忽然(こつぜん)変化して観者をしてその要を得ざらしむることあり。球戯(ベースボール)を観る者は球を観るべし。

 ベースボールの防者 防禦の地にある者すなわち遊技場中に立つ者の役目を説明すべし。攫者(キャッチャー)は常に打者(ストライカー)の後に立ちて投者(ピッチャー)の投げたる球を受け止めるを務めとす。その最も力を尽(つく)す処は打者が第三撃にして撃ち得ざりし時その直球(ジレクトボール)を攫(つか)むと、走者の第二基(ベース)に向って走る時球(ボール)を第二基人(ベースマン)に投ずると、走者(ラナー)の第三基に向って走る時球を第三基人に投ずると、走者の本基(ホームベース)に向って来る時本基に出てこれを喰(く)いとめると等なりとす。投者(ピッチャー)は打者に向って球を投ずるを常務と為(な)す。その正投(ピッチ)の方、外曲(アウトカーブ)、内曲(インカーブ)、墜落(ドロップ)等種々ありけだし打者の眼を欺(あざむ)き悪球を打たしめんとするにあり。この外投者は常に走者に注目し走者基(ベース)を離るること遠き時はその基に向って球を投ずる事等あり。投者攫者二人は場中最枢要(さいすうよう)の地を占(し)むる者にして最も熟練を要する役目とす。短遮(ショルトストップ)は投者と第三基の中ほどにあり、打者の打ちたる球を遮(さえぎ)り止め直ちに第一基に向って投ずるを務(つとめ)とす。この位置は打者の球の多く通過する道筋なるをもって特にこの役を置く者にして短遮の任また重し。第一基は走者を除外(アウト)ならしむるにもっとも適せる地なり。短遮等より投げたる球を攫み得て第一基を踏(ふ)むこと(もしくは身体(からだ)の一部を触(ふ)るること)走者より早くば走者は除外となるなり。けだし走者は本基より第一基に向って走る場合においては単に進むべくしてあえて退くべからざる位置にあるをもって球のその身に触るるを待たずして除外となることかくのごとき者あり。第二基人第三基人の役目は攫者等より投げたる球を攫み走者の身に触れしめんとする者にしてこの間に夾撃(きょうげき)等面白き現象を生ずる事あり。場右(ライトフィルダー)、場中(セントラルフィルダー)、場左(レフトフィルダー)のごとき皆打者の打ちたる飛球(フライボール)を攫み(この時打者は除外となる)またはその球を遮り止めて第一基等に向いこれを投ぐるを役目とす。しかれども球戯(きゅうぎ)は死物にあらず防者にありてはただ敵を除外ならしむるを唯一の目的とするをもってこれがためには各人皆臨機応変の処置を取るを肝要(かんよう)とす。防者は皆打者の球は常に自己の前に落ち来(きた)る者と覚悟(かくご)せざるべからず。基人(ベースマン)は常に自己に向って球を投げらるる者と覚悟せざるべからず。

 ベースボールの攻者 攻者は打者(ストライカー)と走者(ラナー)の二種あるのみ。打者はなるべく強き球を打つを目的とすべし。球強ければ防者の前を通過するとも遮止(しゃし)せらるることなし。球の高く揚(あが)るは外観美なれども攫まれやすし。走者は身軽にいでたち、敵の手の下をくぐりて基(ベース)に達すること必要なり。危険なる場合には基に達する二間ばかり前より身を倒(たお)して辷(すべ)りこむこともあるべし。この他特別なる場合における規定は一々これを列挙せざるべし。けだし一々これを列挙したりともいたずらに混雑を加うるのみなればなり。
○ベースボールの特色 競漕(きょうそう)競馬競走のごときはその方法甚だ簡単にして勝敗は遅速(ちそく)の二に過ぎず。故に傍観者(ぼうかんしゃ)には興少(すくな)し。球戯はその方法複雑にして変化多きをもって傍観者にも面白く感ぜらる。かつ所作の活溌にして生気あるはこの遊技の特色なり、観者をして覚えず喝采せしむる事多し。但しこの遊びは遊技者に取りても傍観者に取りても多少の危険を免(まぬか)れず。傍観者は攫者(キャッチャー)の左右または後方にあるを好(よ)しとす。

 ベースボールいまだかつて訳語あらず、今ここに掲(かか)げたる訳語はわれの創意に係(かか)る。訳語妥当(だとう)ならざるは自らこれを知るといえども匆卒(そうそつ)の際改竄(かいざん)するに由(よし)なし。君子(くんし)幸に正(せい)を賜え。

升(のぼる)  附記


(七月二十七日)




底本:「ことばの探偵〈ちくま文学の森14〉」筑摩書房
   1988(昭和63)年12月20日第1刷

初出:「日本」日本新聞社
   1896(明治29)年7月19日号-27日号

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再び歌よみに与ふる書

  • 2009/12/07(月) 11:51:36

貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候。其貫之や古今集を崇拝するは誠に気の知れぬことなどと申すものゝ実は斯く申す生も数年前迄は古今集崇拝の一人にて候ひしかば今日世人が古今集を崇拝する気味合は能く存申候。崇拝して居る間は誠に歌といふものは優美にて古今集は殊に其粋を抜きたる者とのみ存候ひしも三年の恋一朝にさめて見ればあんな意気地の無い女に今迄ばかされて居つた事かとくやしくも腹立たしく相成候。先づ古今集といふ書を取りて第一枚を開くと直に「去年(こぞ)とやいはん今年とやいはん」といふ歌が出て来る実に呆れ返つた無趣味の歌に有之候。日本人と外国人との合の子を日本人とや申さん外国人とや申さんとしやれたると同じ事にてしやれにもならぬつまらぬ歌に候。此外の歌とても大同小異にて佗(ママ)洒落か理窟ッぽい者のみに有之候。それでも強ひて古今集をほめて言はゞつまらぬ歌ながら万葉以外に一風を成したる処は取餌(ママ)にて如何なる者にても始めての者は珍らしく覚え申候。只之を真似るをのみ芸とする後世の奴こそ気の知れぬ奴には候なれ。それも十年か二十年の事なら兎も角も二百年たつても三百年たつても其糟粕を嘗(な)めて居る不見識には驚き入候。何代集の彼ン代集のと申しても皆古今の糟粕の糟粕の糟粕の糟粕ばかりに御座候。

 貫之とても同じ事に候。歌らしき歌は一首も相見え不申候。嘗(かつ)て或る人に斯く申し候処其人が「川風寒く千鳥鳴くなり」の歌は如何にやと申され閉口致候。此歌ばかりは趣味ある面白き歌に候。併し外にはこれ位のもの一首もあるまじく候。「空に知られぬ雪」とは佗洒落にて候。「人はいざ心もしらず」とは浅はかなる言ひざまと存候。但貫之は始めて箇様な事を申候者にて古人の糟粕にては無之候。詩にて申候へば古今集時代は宋時代にもたぐへ申すべく俗気紛々と致し居候処は迚も唐詩とくらぶべくも無之候得共さりとて其を宋の特色として見れば全体の上より変化あるも面白く宋はそれにてよろしく候ひなん。それを本尊にして人の短所を真似る寛政以後の詩人は善き笑ひ者に御座候。
 古今集以後にては新古今稍すぐれたりと相見え候。古今よりも善き歌を見かけ申候。併し其善き歌と申すも指折りて数へる程の事に有之候。定家といふ人は上手か下手か訳の分らぬ人にて新古今の撰定を見れば少しは訳の分つて居るのかと思へば自分の歌にはろくな者無之「駒とめて袖うちはらふ」「見わたせば花も紅葉も」抔が人にもてはやさるゝ位の者に有之候。定家を狩野派の画師に比すれば探幽と善く相似たるかと存候。定家に傑作無く探幽にも傑作無し。併し定家も探幽も相当に練磨の力はありて如何なる場合にも可なりにやりこなし申候。両人の名誉は相如(し)く程の位置に居りて〈定〉家以後歌の門閥を生じ探幽以後画の門閥を生じ両家とも門閥を生じたる後は歌も画も全く腐敗致候。いつの代如何なる技芸にても歌の格画の格などゝいふやうな格がきまつたら最早進歩致す間敷候。

 香川景樹(かがはかげき)は古今貫之崇拝にて見識の低きことは今更申す迄も無之候。俗な歌の多き事も無論に候。併し景樹には善き歌も有之候。自己が崇拝する貫之よりも善き歌多く候。それは景樹が貫之よりえらかつたのかどうかは分らぬ只景樹時代には貫之時代よりも進歩して居る点があるといふ事は相違無ければ従て景樹に貫之よりも善き歌が出来るといふも自然の事と存候。景樹の歌がひどく玉石混淆である処は俳人でいふと蓼太(れうた)に比するが適当と被思(おもはれ)候。蓼太は雅俗巧拙の両極端を具へた男で其句に両極端が現れ居候。且満身の覇気でもつて世人を籠絡(ろうらく)し全国に夥(おびただ)しき門派の末流をもつて居た処なども善く似て居るかと存候。景樹を学ぶなら善き処を学ばねば甚だしき邪路に陥り可申今の景樹派などゝ申すは景樹の俗な処を学びて景樹よりも下手につらね申候。ちゞれ毛の人が束髪に結びしを善き事と思ひて束髪にいふ人はわざ/\毛をちゞらしたらんが如き趣有之候。こゝの処よくよく闊眼(くわつがん)を開いて御判別可有候。古今上下東西の文学など能く比較して御覧可被成(なさるべく)くだらぬ歌書許り見て居つては容易に自己の謎を醒まし難く見る所狭ければ自分の汽車の動くのを知らで隣の汽車が動くやうに覚ゆる者に御座候。

不尽。



底本:「日本の名随筆 別巻30 短歌」作品社
   1993(平成5)年8月25日第1刷発行
   1995(平成7)年12月10日第2刷発行

底本の親本:「子規全集 第七巻」講談社
   1975(昭和50)年7月


病牀瑣事

  • 2009/12/06(日) 09:29:15

 我ながらなが/\しき病に飽きはてゝ、つれ/″\のやるかたなさに書読み物書くを人は我を善く勉めたりといふ。日頃書などすさめぬ人も長き病の牀には好みて小説伝記を読み、あるはてにはの合はぬ歌発句をひねくりなどするものなり。況して一たび行きかゝりし斯道、これに離れよといはんは死ねといはんの直接なるに如かず。

 をとゝしの頃は三十八度以上の体熱ありて、しかも能く客と語り能く字を書くを自ら驚き思へり。今年五月よりこのかた三十九度以上の熱度を以て、能く飯し能く詠じ能く書き能く語ることあり。されどこは習ひなり、強ひて勉むるに非ず。

 病やゝおこたりて詩思いまだ動かず。熱のさしひきこそあれ、苦痛すくなくなりしに、始めて日の長きを知る程なりしかば、書読みたしの念起りて、徳川時代の漢学者の随筆を見初めぬ。読めば面白く、面白ければ読み、疲るゝ眼をいたはりながら少しづゝ読む日数積りて、いつの間にか数十巻を了へたり。更に他の巻を求むれば最早無しといふ。学校の試験すみて級一つ上りし心地にうれしさはいはんかたなし。其中にて最も驚きたるは蕃山の経済、徂徠の学説なり。いづれもいくばくのひがみたる考無きにあらねど、大体に於て見地の高きこと固より世の常の儒者にたぐふべくもあらず。徂徠が修辞上の古学と経学とを結びつけんとしたるは僻せり。孔子の教に非ずとして孟子をも朱子をも斥けたる大見識を以て、更に一足を進めて孔子を評せざりしはいと歯痒し。今一たび苔の下より呼び起して話して見たきは徂徠なり。

 古き人の随筆読み尽して、又日を消すべき術無きに困じはてつ、ふと碁の定石を知らんと思ひなりぬ。吾いまだ碁を知らず。今はた碁を学んで人と勝敗を争ふの心も無けれど、定石を知るは幾何学の理論を読むが如き面白味あらんかと、初歩の本など借り来り、紙の碁盤、土の碁石、丁々といふ音もなく、いと淋しげに置き習ひぬ。忽ち覚え忽ち忘れ、何のことわりとも知らで、黒、白、黒、白と心も移らず遊びけるを、さと吹き入るゝ風に碁盤飛び碁石ころげて、昔の闇に帰りける、それも涼しや。

 夢にては立ちて歩くこと病無き昔の如し。たま/\にはきのふ迄足なへなりし吾のけふ俄かに足立ちたりと覚えて夢心地に喜ぶこともあり。斯る夢のさめたる時、もしや誠に足の立つにはあらずやなど思ひて、こゝろみに足蹈みのばし見るもはかなき限りなり。此春迄は両足蹈みのばせば左の足の踵は右の足のくる節に届きしを、今は左の指の尖が彼の節に触るゝばかりに縮みける。されど夢にはあらで、ふと足の伸ぶべきやうに覚えて、蹈みのべて見ては失望することすら少からず。我ながらおろかにぞなりまさりける。

 病みて臥せる身には日和程嬉しきはなし。朝々雨戸明けしむる時、寝ながらに外面に向きて空を窺ふ、彼方の上野の森に朝日のあたるを見れば胸の塵一時に掃かれたる心地す。若し空曇りて薄暗き時は新聞を披きて先づ天気予報を見る。曇り後晴れなどありたらんはさすがに望みあり。

 蚊帳つれば薄暗きを厭ひて、宵の程は蚊を打ち/\書読み物書きなどす。たまさかにぶん/\といふ虫来りて顔のあたり飛びめぐるを、うるさしとて追ひやれど又戻り来つ、投げつくれど羽堅くして傷れず。はては腹だゝしさにそを捕へて足一つ/\もぎ取りて放しけるに、僅に残りたる足のきれにてもがき/\少し這ひありく。之を見るに俄かに哀しく覚えていかにせましと思へど、再び足をつぐべくもあらず。寧ろ殺さましと手に取れどそれもしかねて、今更罪の深き思ひせらるゝもよしなしや。



底本:「日本の名随筆28 病」作品社
   1985(昭和60)年2月25日第1刷発行
   1996(平成8)年2月29日第16刷発行

底本の親本:「子規全集 第九巻」改造社
   1929(昭和4)年8月発行


  • 2009/12/05(土) 20:12:02

 斯う生きて居たからとて面白い事も無いから、一寸死んで来られるなら一年間位地獄漫遊と出かけて、一周忌の祭の真中へヒヨコと帰つて来て地獄土産の演説などは甚だしやれてる訳だが、併し死にツきりの引導渡されツきりでは余り有難くないね。けれど有難くないの何のと贅沢をいつて見たところで、諸行無常老少不定といふので鬼が火の車引いて迎へに来りや今夜にも是非とも死なゝければならないヨ。明日の晩実は柳橋で御馳走になる約束があるのだが一日だけ日延してはくれまいかと願つて見たとて鬼の事だからまさか承知しまいナ。もつとも地獄の沙汰も金次第といふから犢鼻褌のカクシへおひねりを一つ投げこめば鬼の角も折れない事はあるまいが、生憎今は十銭の銀貨も無いヤ。無いとして見りヤうかとはして居られない。是非死ぬとなりヤ遺言もしたいし辞世の一つも残さなけりヤ外聞が悪いし……ヤア何だか次の間に大勢よつて騒いで居るナ。「ビヤウキキトク」なんていふ電報を掛けるとか何とかいつてゐるのだらう。ナニ耳のそばで誰やら話しゝかけるやうだ。何かいふ事ないか、いふ事無いでも無い、借金の事どうかお頼み申すヨ。それきりか、僕は饅頭が好きだから死んだら成るべく沢山盛つて供へてもらひたい。それは承知したが辞世は無いか、それサ辞世の歌一首詠まうと思つたが間に合はないから十七字に変へて見たが、矢張まだ五字出来ないのだが、五文字出来なけりヤ十二字でも善いぢやないか、言つて見たまへ、そんなら言つて見よか「屁をひつて尻をすぼめず」といふのだ、何か下五文字つけてくれ、笑つてちヤいけないヨ、それぢやネ萩の花と置いてはどうだ、それヤどういふ訳だ、どういふ訳も無いけれど外に置きやうは無しサ、今萩がさかりだから萩の花サ、そんな訳の分らぬのは困るヨ、ぢや君屁ひり虫といふのはどうだ、屁ひり虫は秋の季になつてるから、屁をひつて尻をすぼめず屁ひり虫か、そいつは余りつまらないぢやないか、つまらないたツて困つたナ、それぢヤこれではどうだ、屁をひつてすぼめぬ穴の芒かなサ、少しは善いやうだナ、少し善ければそれで我慢して置いて安楽に往生するサ、迷はずに往つてくれたまへ、迷つたら帰つて来るヨ……イヤに静かになつた。誰やらシク/\泣いてるやうだ。抹香の匂ひがしやアガラ。此匂ひは生きてる内から余り好きでも無かつたが死んで後も矢張善く無いヨ、何だか胸につまるやうで。胸につまるといへばからだが窮屈だね。こリヤ樒の葉でおれのからだを詰めたに違ひない。棺を詰めるのは花にしてくれといつて置くのを忘れたから今更仕方が無い。オヤ動き出したぞ。墓地へ行くのだナ。人の足音や車の軋る音で察するに会葬者は約百人、新聞流でいへば無慮三百人はあるだらう。先づおれの葬式として不足も言へまい。……アヽやう/\死に心地になつた。さつき柩を舁ぎ出された迄は覚えて居たが、其後は道々棺で揺られたのと寺で鐘太鼓ではやされたので全く逆上してしまつて、惜い哉木蓮屁茶居士などゝいふものはかすかに聞えたが、其後は人事不省だつた。少し今、ガタといふ音で始めて気がついたが、いよ/\こりや三尺地の下に埋められたと見えるテ。静かだツて淋しいツて丸で娑婆でいふ寂寞だの蕭森だのとは違つてるよ。地獄の空気は確かに死んでるに違ひ無い。ヤ音がする。ゴーといふのは汽車のやうだがこれが十万億土を横貫したといふ汽車かも知れない。それなら時々地獄極楽を見物にいつて気晴らしするもおつだが、併し方角が分らないテ、滅多に闇の中を歩行いて血の池なんかに落ちようものなら百年目だ、こんな事なら円遊に細しく聞いて来るのだツた。オヤ梟が鳴く。何でも気味の善い鳥とは思はなかつたが、道理で地獄で鳴いてる鳥ぢヤもの。今日は弔はれのくたびれで眠くなつて来た……最う朝になつたか知ら、少し薄あかるくなつたやうだ。誰かはや来て居るよ。ハア植木屋がかなめを植ゑに来たと見える。併しゆうべ迄あつた花はどうしたらう、生花も造花も何んにも一つも無いよ。何やら盛物もあつたがそれも見えない。屹度乞食が取つたか、此近辺の子が持つて往たのだらう。これだから日本は困るといふのだ。社会の公徳といふものが少しも行はれて居らぬ。西洋の話を聞くと公園の真中に草花がつくつてある、それには垣も囲ひも何んにも無い。多くの人は其傍を散歩して居る。それでも其花一つ取る者は仮にも無い。どんな子供でも決して取るなんていふ事は無いさうだ。それが日本ではどうだ。白壁があつたら楽書するものときまつて居る。道端や公園の花は折り取るものにきまつてゐる。若し巡査が居なければ公園に花の咲く木は絶えてしまふだらう。殊に死人の墓に迄来て花や盛物を盗む。盗んでも彼等は不徳義とも思やせぬ。寧ろ正当の様に思つてる。如何に無教育の下等社会だつて――併し貧民の身になつて考へて見ると此窃盗罪の内に多少の正理が包まれて居ない事も無い。墓場の鴉の腹を肥す程の物があるなら墓場の近辺の貧民を賑はしてやるが善いぢヤないか。貧民いかに正直なりともおのれが飢ゑる飢ゑぬの境に至つて墓場の鴉に忠義だてするにも及ぶまい。花はとにかく供へ物を取るのは決して無理では無い。西洋の公園でも花だから誰も取らずに置くが若しパンを落して置いたらどうであらう。屹度またたく間に無くなつてしまふに違ひない。して見れば西洋の公徳といふのも有形的であつて精神的では無い――ヤ、大勢来やがつた。誰かと思へば矢張きのふの連中だ。アヽ深切なものだ。皆くたびれて居るだらうけれどそれにも構はず墓の検分に来てくれたのだ。実に有り難い。諸君。諸君には見えないだらうが僕は草葉の陰から諸君の厚誼を謝して居るよ。去る者は日々に疎しといつてなか/\死者に対する礼はつくされないものだ。僕も生前に経験がある。死んだ友達の墓へ一度参つたきりで其後参らう/\と思つて居ながらとう/\出来ないでしまつた。僕は地下から諸君の万歳を祈つて居る。……今日は誰も来ないと思つたらイヤ素的な奴が来た。蘭麝の薫りたゞならぬといふ代物、オヤ小つまか。小つまが来ようとは思はなかつた。成程娑婆に居る時に爪弾の三下りか何かで心意気の一つも聞かした事もある、聞かされた事もある。忘れもしないが自分の誕生日の夜だつた。最う秋の末で薄寒い頃に袷に襦袢で震へて居るのに、どうしたかいくら口をかけてもお前は来てくれず、夜はしみじみと更ける、寒さは増す。独りグイ飲みのやけ酒といふ気味で、最う帰らうと思つてるとお前が丁度やつて来たから狸寝入でそこにころがつて居るとお前がいろ/\にしておれを揺り起したけれどおれは強情に起きないで居た。すると後にはお前の方で腹立つて出て往かうとするから、今度はこつちから呼びとめたが帰つて来ない。とう/\おかみの仲裁でやつとお前が出て来てくれた時、おれがあやまつたら、お前が気の毒がつて、あんたほんたうにあやまるのですか、それでは私がすみません、私の方からあやまります、といふので、ヂツと手を握られた時は少しポツとしたよ。地獄ではノロケが禁じてあるから深くはいはないが、あの時はほんたうに最う命もいらないと迄思つたね。したがお前の心を探つて見ると、一旦は軽はずみに許したが男のいふ言は一度位ではあてにならぬと少し引きしめたやうに見えたのでこちらも意地になり、女の旱はせぬといつたやうな顔して、疎遠になるとなく疎遠になつて居たのだが、今考へりやおれが悪かつた。お前が線香たてゝくれるとは実に思ひがけなかつた。オヤまた女が来た。小つまの連かと思つたら白眼みあひにすれ違つた。ヤヤヤみイちやんぢや無いか。今日はまアどうしたのだらう。みイちやんに逢つては実に合す顔が無い。みイちやんも言ひたい事があるであらう。こちらも話したい事は山々あるが最う話しする事の出来ない身の上となつてしまつた。よし話が出来たところが今更いつてみてもみんな愚痴に堕ちてしまふ。いはゞいふだけ涙の種だから何んにもいはぬ。只こゝからお詫びをする迄だ。みイちやんの一生を誤つたのは僕だ。まだ肩あげがあつて桃われが善く似あふと人がいつた位の無垢清浄玉の如きみイちやんを邪道に引き入れた悪魔は僕だ。悪魔、悪魔には違ひないが併し其時自分を悪魔とも思はないし又みイちやんを魔道に引き入れるとも思はなかつた。此間の消息を知つてる者は神様と我々二人ばかりだ。人間世界にありうちの卑しい考は少しもなかつたのだから罪は無いやうな者であるが、そこはいろ/\の事情があつて、一枚の肖像画から一篇の小説になる程の葛藤が起つたのである。その秘密はまだ話されない。恐らくはいつ迄たつても話さるゝ事はあるまい。斯様の秘密がいくつと無く此墓地の中に葬られて居るであらうと思ふと、それを聞きたくもあるし、自分のも話したいが、話して後に若し生き還ると義理が悪いから矢張秘密にしておくも善からう。とにかく今日は艶福の多い日だつた。……日の立つのも早いもので最う自分が死んでから一周忌も過ぎた。友達が醵金して拵へてくれた石塔も立派に出来た。四角な台石の上に大理石の丸いのとは少としやれ過ぎたがなか/\骨は折れて居る。彼等が死者に対して厚いのは実に感ずべき者だ。が先日こゝで落ちあつた二人の話で見ると、石塔は建てたが遺稿は出来ないといふ事だ。本屋へ話したが引き受けるといふ者は無し、友達から醵金するといつても今石塔がやつと出来たばかりで又金出してくれともいへず、来年の年忌にでもなつたら又工夫もつくであらうといふ事であつた。何だか心細い話ではあるが併し遺稿を一年早く出したからつて別に名誉といふ訳でも無いから来年でも出来さへすりや結構だ。併し先日も鬼が笑つて居たから気にならないでもないが何うせ死んでから自由は利かないサ、只あきらめて居るばかりだ。時に近頃隣の方が大分騒がしいが何でも華族か何かゞやつて来たやうだ。華族といや大さうなやうだが引導一つ渡されりヤ華族様も平民様もありやアしない。妻子珍宝及王位、臨命終時不随者といふので御釈迦様はすました者だけれど、なか/\さうは覚悟しても居ないから凡夫の御台様や御姫様はさぞ泣きどほしで居られるであらう。可愛想に、華族様だけは長いきさせても善いのだが、死に神は賄賂も何も取らないから仕方がない。華族様なんぞは平生苦労を知らない代りに死に際なんて来たらうろたへたことであらう。可愛想だが取り返しもつかないサ。正三位勲二等などゝ大きな墓表を建てたツて土の下三尺下りや何のきゝめもあるものでない。地獄では我々が古参だから頭下げて来るなら地獄の案内教へてやらないものでも無いが、生意気に広い墓地を占領して、死んで後迄も華族風を吹かすのは気にくはないヨ。元来墓地には制限を置かねばならぬといふのが我輩の持論だが、今日のやうに人口が繁殖して来る際に墓地の如き不生産的地所が殖えるといふのは厄介極まる話だ。何も墓地を広くしないからツて死者に対する礼を欠くといふ訳は無い。華族が一人死ぬると長屋の十軒も建つ程の地面を塞げて、甚だけしからん、といつて独り議論したツて始まらないや。ドレ一寐入しようか。……アヽ淋しい/\。此頃は忌日が来ようが盂蘭盆が来ようが誰一人来る者も無い。最も此処へ来てから足かけ五年だからナ。遺稿はどうしたか知らん、大方出来ないのは極つてる。誰も墓参りにも来ない者が遺稿の事など世話してくれる筈は無い。お隣の華族様も最う大分地獄馴れて、蚯蚓の小便の味も覚えられたであらう。淋しいのは少しも苦にならないけれど、人が来ないので世上の様子がさつぱり分らないには困る。友だちは何として居るか知らツ。小つまは勤めて居るなら最う善いかげんの婆さんになつたらう。みイちやんは婚礼したかどうか知らツ。市区改正はどれだけ捗取つたか、市街鉄道は架空蓄電式になつたか、それとも空気圧搾式になつたか知らツ。中央鉄道は聯絡したか知らツ。支那問題はどうなつたらう。藩閥は最う破れたか知らツ。元老も大分死んでしまつたらう。自分が死ぬる時は星の全盛時代であつたが今は誰の時代か知らツ。オー寒い/\何だかいやに寒くなつてきた。どこやらから娑婆の寒い風を吹きつけて来る。先日の雨に此処の地盤が崩れたと見えて、こほろぎの声が近く聞えるのだが誰も修理に来る者などはありやしない。オヤ誰か来やがつた。夜になつてから詩を吟じながらやつて来るのは書生に違ひ無いが、オヤおれの墓の前に立つて月明りに字を読んで居やがるな。気障な墓だなんて独り言いつて居やがらア。オヤ恐ろしい音をさせアがつた。石塔の石を突きころがしたナ。失敬千万ナ。こんな奴が居るから幽霊に出たくなるのだ。一寸幽霊に出てあいつをおどかしてやらうか。併し近頃は慾の深い奴が多いから、幽霊が居るなら一つふんじばつて浅草公園第六区に出してやらうなんていふので幽霊捕縛に歩行いて居るのかも知れないから、うつかり出られないが、失敬ナ、悠々と詩を吟じながら往つてしまやがつた。此頃此処へ来る奴にろくな奴は無いよ。きのふも珍しく色の青い眼鏡かけた書生が来て何か頻りに石塔を眺めて居たと思つたら、今度或る雑誌に墓といふ題が出たので其材料を捜しに来たのであつた。何でも今の奴は只は来ないよ。たまに只※(二の字点、1-2-22)来た奴があると石塔をころがしたりしやアがる。始末にいけない。オー寒いぞ/\。寒いツてもう粟粒の出来る皮も無しサ。身の毛のよだつといふ身の毛も無いのだが、所謂骨にしみるといふやつだネ。馬鹿に寒い。オヤ/\馬鹿に寒いと思つたら、あばら骨に月がさして居らア。
 
 僕が死んだら道端か原の真中に葬つて土饅頭を築いて野茨を植ゑてもらひたい。石を建てるのはいやだが已む無くば沢庵石のやうなごろ/\した白い石を三つか四つかころがして置くばかりにしてもらはう。若しそれも出来なければ円形か四角か六角かにきつぱり切つた石を建てゝもらひたい。彼自然石といふ薄ツぺらな石に字の沢山彫つてあるのは大々嫌ひだ。石を建てゝも碑文だの碑銘だのいふは全く御免蒙りたい。句や歌を彫る事は七里ケツパイいやだ。若し名前でも彫るならなるべく字数を少くして悉く篆字にしてもらひたい。楷書いや。仮名は猶更。



底本:「日本の名随筆55 葬」作品社
   1987(昭和62)年5月25日第1刷発行
   1990(平成2)年2月10日第4刷

底本の親本:「子規全集 第九巻」改造社
   1929(昭和4)年8月発行


夏の夜の音

  • 2009/12/04(金) 22:13:24

時は明治卅二年七月十二日夜、処は上根岸の某邸の構内の最も奥の家、八畳の間の真中に病の牀を設けて南側の障子明け放せば上野おろしは闇の庭を吹いて枕辺の灯火を揺かす。我は横に臥したる体をすこしもたげながら片手に頭をさゝへ片手に蚊を打つに余念無し。

午後八時より九時迄

 北側に密接してある台所では水瓶の水を更ふる音、茶碗、皿を洗ふ音漸く止んで、南側の垣外にある最合(もあひ)
井の釣瓶(つるべ)の音まだ止まぬ。

 垣の外に集まりし小供の鼠花火、音絶えて、南の家の小供は自分の家に帰つた。南東の藻洲氏の家では子供二人で唱歌を謳ふて居る。はては板の間で足拍子取ながら謳ふて居る。

 南の家で赤子が泣く。

 南へ一町ばかり隔てたる日本鉄道の汽車は衆声を圧して囂々(がうがう)と通り過ぎた。

蛍一ついづこよりか枕もとの硯箱に来てかすかに火をともせり。母は買物にとて坂本へ出で行き給へり。

 上野の森に今迄鳴いて居た梟ははたと啼き絶えた。

 最合井の辺に足音がとまつて女二人の話は始まつた。

 一口二口で話が絶えると足音は南の家に這入つた。

 例の唱歌は一旦絶えて又始まつたが今度は「支那のチヤン/\坊主は余ッ程弱いもの」といふ歌に変つた。しばらくして軽業の口上に変つた。同時に二三人が何やらしやべつて居る。終に総笑ひとなつた。

 列車の少い汽車が通つた。

午後九時より十時迄

 東隣の家へ、此お屋敷の門番の人が来て、庭へ立ちながら話してすぐ帰つた。

 南の家で、窓から外へ痰を吐いた。

 誰やら水汲みに来た。

障子を閉さしむ

 南の家では、入口の前で、闇に行水する様子だ。

 下り列車が通つた。

 遠くに沢山の犬が吠える。

体温を閲す、卅八度五分。

 行水がすんで、団扇で尻か何か叩く音がする。

 足音がした。南裏の木戸が明いた。

母はちいさき灯籠とみそ萩とを提げて帰り給へり。

 今年は阪(ママ)本の町が広くなつて草市の店が賑かに出た。

など話し給ふ。

 汽車通る。やがて単行の汽鑵車が通る。

 南の家で戸じまりの音がする。

 南東の家で戸じまりの音がする。四隣漸く静まる。

 次の間で麻木を折る音がする。

 上野の十時の鐘が聞える。

午後十時より十一時迄

 下り列車通る。

 単行の汽鑵車、笛を鳴らし/\、今度は下つて往た。間も無く上り列車が来た。

 上野停車場の構内で、汽鑵車が湯を吐きながら進行を始める音が聞える。

 蛙の声が次第に高くなる。

 遠くに犬が頻りに吠える。

 門前の犬吠え出す。

 又水汲みに来た。

 東隣では雨戸をしめる。

 又星が見えると独りごち給ふ。

 戸締りの音

蚊帳を釣り寝に就く

午後十一時より十二時迄

 枕もとの時計の音のみ聞えて天地は極めて静かな。

 椽側に置いてある籠の鶉、物に驚いたやうにはねる音がする。

うと/\と眠る。

 汽車が通つたさうな。

 忽ち表の戸をはげしく敲く音に眼が覚めた。何事かと思へば新聞の配達人が人を起して新聞の不着の言訳をするのであつた。

 十二時の鐘

午前零時より二時迄起き居る間に

 鼠の音一度

聞きしのみ。そよとの風も吹かず。犬の遠吠もせず。動物園のうなり声も聞えず。夜一夜騒く[#「騒く」はママ]鶉も鼠も此夜は騒がず。梅雨中の静かさ、此時星の飛ぶもあるべし。



底本:「日本の名随筆25 音」作品社
   1984(昭和59)年11月25日第1刷発行
   1999(平成11)年4月30日第17刷発行

底本の親本:「子規全集 第一二巻」講談社
   1975(昭和50)年10月発行


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