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曙覧の歌-その1

  • 2009/07/13(月) 10:47:00

 余の初め歌を論ずる、ある人余に勧めて俊頼(としより)集、文雄(ふみお)集、曙覧(あけみ)集を見よという。それかくいうは三家の集が尋常歌集に異なるところあるをもってなり。まず源(みなもとの)俊頼の『散木弃歌集(さんぼくきかしゅう)』を見て失望す。いくらかの珍しき語を用いたるほかに何の珍しきこともあらぬなり。次に井上文雄の『調鶴(ちょうかく)集』を見てまた失望す。これも物語などにありて普通の歌に用いざる語を用いたるほかに何の珍しきこともあらぬなり。最後に橘(たちばなの)曙覧の『志濃夫廼舎(しのぶのや)歌集』を見て始めてその尋常の歌集に非ざるを知る。その歌、『古今』『新古今』の陳套(ちんとう)に堕(お)ちず真淵(まぶち)、景樹(かげき)の※(「穴かんむり/果」、第3水準1-89-51)臼(かきゅう)に陥らず、『万葉』を学んで『万葉』を脱し、鎖事(さじ)俗事を捕え来(きた)りて縦横に馳駆(ちく)するところ、かえって高雅蒼老(そうろう)些(さ)の俗気を帯びず。ことにその題目が風月の虚飾を貴ばずして、ただちに自己の胸臆(きょうおく)を※(「てへん+慮」、第4水準2-13-58)(し)くもの、もって識見高邁(こうまい)、凡俗に超越するところあるを見るに足る。しこうして世人は俊頼と文雄を知りて、曙覧の名だにこれを知らざるなり。


 曙覧の事蹟及び性行に関しては未(いま)だこれを聞くを得ず。歌集にあるところをもってこれを推すに、福井辺の人、広く古学を修め、つとに勤王の志を抱く。松平春岳(まつだいらしゅんがく)挙げて和歌の師とす、推奨最(もっとも)つとむ。しかれども赤貧洗うがごとく常に陋屋(ろうおく)の中に住んで世と容(い)れず。古書(こしょ)堆裏(たいり)独(ひとり)破几(はき)に凭(よ)りて古(いにしえ)を稽(かんが)え道を楽(たのし)む。詠歌のごときはもとよりその専攻せしところに非ざるべきも、胸中の不平は他に漏らすの方(かた)なく、凝りて三十一字となりて現れしものなるべく、その歌が塵気(じんき)を脱して世に媚(こ)びざるはこれがためなり。彼自ら詠じて曰(いわ)く

吾(わが)歌をよろこび涙こぼすらむ鬼のなく声する夜の窓

灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼我(わが)ひめ歌の限りきかせむ

人臭き人に聞(きか)する歌ならず鬼の夜ふけて来(こ)ばつげもせむ

凡人(ただひと)の耳にはいらじ天地(あめつち)のこころを妙に洩(も)らすわがうた

 何らの不平ぞ。何らの気焔(きえん)ぞ。彼はこの歌に題して「戯れに」といいしといえども「戯れ」の戯れに非(あらざ)るはこれを読む者誰かこれを知らざらん。しかるをなお強いて「戯れに」と題せざるべからざるもの、その裏面には実に万斛(ばんこく)の涕涙(ているい)を湛(たた)うるを見るなり。吁(ああ)この不遇の人、不遇の歌。

 彼と春岳との関係と彼が生活の大体とは『春岳自記(じき)』の文に詳(つまびらか)なり。その文に曰く
橘曙覧の家にいたる詞

おのれにまさりて物しれる人は高き賤(いやし)きを選ばず常に逢(あい)見て事尋ねとひ、あるは物語を聞(きか)まほしくおもふを、けふは此(この)頃にはめづらしく日影あたたかに久堅(ひさかた)の空晴渡りてのどかなれば、山川野辺のけしきこよなかるべしと巳(み)の鼓(つづみ)うつ頃より野遊(のあそび)に出たりき、三橋といふ所にいたる、中根師質(なかねもろただ)あれこそ曙覧の家なれといへるを聞て、俄(にわか)にとはむとおもひなりぬ、ちひさき板屋の浅ましげにてかこひもしめたらぬに、そこかしこはらひもせぬにや塵ひぢ山をなせり、柴の門もなくおぼつかなくも家にいりぬ、師質心せきたるさまして参議君の御成(おなり)ぞと大声にいへるに驚きて、うちよりししじもの膝(ひざ)折ふせながらはひいでぬ、すこし広き所に入りてみれば壁落(おち)かかり障子はやぶれ畳はきれ雨もるばかりなれども、机に千文(ちふみ)八百(やお)ふみうづたかくのせて人丸(ひとまろ)の御像(みぞう)などもあやしき厨子(ずし)に入りてあり、おのれきものぬぎかへて賤(しず)が著(き)るつづりおりに似たる衣をきかへたり、此(この)時扇一握(いちあく)を半井保(なからいたもつ)にたまひて曙覧にたびてよと仰せたり、おのれいへらく、みましの屋の名をわらやといへるはふさはしからず、橘のえにしあれば忍ぶの屋とけふよりあらためよといへり、屋のきたなきことたとへむにものなし、しらみてふ虫などもはひぬべくおもふばかりなり、かたちはかく貧(まずし)くみゆれど其(その)心のみやびこそいといとしたはしけれ、おのれは富貴の身にして大厦(たいか)高堂に居て何ひとつたらざることなけれど、むねに万巻のたくはへなく心は寒く貧くして曙覧におとる事更に言をまたねば、おのづからうしろめたくて顔あからむ心地せられぬ、今より曙覧の歌のみならで其(その)心のみやびをもしたひ学(まなば)ばや、さらば常の心の汚(よごれ)たるを洗ひ浮世の外(ほか)の月花を友とせむにつきつきしかるべしかし、かくいふは参議正四位上大蔵大輔(おおくらたゆう)源朝臣(あそん)慶永(よしなが)元治二年衣更著(きさらぎ)末のむゆか、館に帰りてしるす

 曙覧が清貧に処して独り安んずるの様、はた春岳が高貴の身をもってよく士に下るの様はこの文を見てよく知るを得ん。この知己あり。曙覧地下に瞑(めい)すべきなり。

〔『日本』明治三十二年三月二十二日〕
その2へ続く
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