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曙覧の歌-その3

  • 2009/07/15(水) 00:03:45

 余は思う、曙覧の貧は一般文人の貧よりも更に貧にして、貧曙覧が安心の度は一般貧文人の安心よりも更に堅固なりと。けだし彼に不平なきに非(あらざ)るもその不平は国体の上における大不平にして衣食住に関する小不平に非ず。自己を保護せずしてかえって自己を棄てたる俗世俗人に対してすら、彼は時に一、二の罵詈(ばり)を加うることなきにしもあらねど、多くはこれを一笑に付し去りて必ずしも争わざるがごとし。「独楽※(「口+金」、第3水準1-15-5)」の中に

たのしみは木芽(このめ)※(「さんずい+龠」、第4水準2-79-46)(にや)して大きなる饅頭(まんじゅう)を一つほほばりしとき

たのしみはつねに好める焼豆腐うまく烹(に)たてて食(くわ)せけるとき

たのしみは小豆(あずき)の飯の冷(ひえ)たるを茶漬(づけ)てふ物になしてくふ時

 多言するを須(もち)いず、これらの歌が曙覧ならざる人の口より出(い)で得べきか否かを考えみよ。陽に清貧を楽(たのし)んで陰に不平を蓄うるかの似而非(えせ)文人が「独楽※(「口+金」、第3水準1-15-5)」という題目の下にはたして饅頭、焼豆腐の味を思い出だすべきか。彼らは酒の池、肉の林と歌わずんば必ずや麦の飯、藜(あかざ)の羹(あつもの)と歌わん。饅頭、焼豆腐を取ってわざわざこれを三十一文字に綴(つづ)る者、曙覧の安心ありて始めてこれあるべし。あら面白の饅頭、焼豆腐や。

 安心の人に誇張あるべからず、平和の詩に虚飾あるべからず。余は更に進んで曙覧に一点の誇張、虚飾なきことを証せん。似而非(えせ)文人は曰く、黄金百万緡(ひゃくまんびん)は門前のくろ(犬)の糞のごとしと。曙覧は曰く

たのしみは銭なくなりてわびをるに人の来(きた)りて銭くれし時

たのしみは物をかかせて善(よ)き価惜(おし)みげもなく人のくれし時

 曙覧は欺かざるなり。彼は銭を糞の如しとは言わず、あどけなくも彼は銭を貰(もら)いし時のうれしさを歌い出だせり。なお正直にも彼は銭を多く貰いし時の思いがけなきうれしさをも白状せり。仙人のごとき仏のごとき子供のごとき神のごとき曙覧は余は理想界においてこれを見る、現実界の人間としてほとんど承認するあたわず。彼の心や無垢(むく)清浄、彼の歌や玲瓏(れいろう)透徹。

 貧、かくのごとし、高、かくのごとし。一たびこれに接して畏敬の念を生じたる春岳(しゅんがく)はこれを聘(へい)せんとして侍臣(じしん)をして命(めい)を伝えしめしも曙覧は辞して応ぜざりき。文を売りて米の乏しきを歎(なげ)き、意外の報酬を得て思わず打ち笑みたる彼は、ここに至って名利を見ること門前のくろの糞のごとくなりき。臨むに諸侯の威をもってし招くに春岳の才をもってし、しこうして一曙覧をして破屋竹笋(ちくしゅん)の間より起(た)たしむるあたわざりしもの何がゆえぞ。謙遜(けんそん)か、傲慢(ごうまん)か、はた彼の国体論は妄(みだり)に仕うるを欲せざりしか。いずれにもせよ彼は依然として饅頭焼豆腐の境涯を離れざりしなり。慶応三年の夏、始めて秩禄(ちつろく)を受くるの人となりしもわずかに二年を経て明治二年の秋(?)彼は神の国に登りぬ。曙覧が古典を究め学問に耽(ふけ)りしことは別に説くを要せず。貧苦の中にありて「机に千文(ちぶみ)八百文(やおぶみ)堆(うずたか)く載せ」たりという一事はこれを証して余りあるべし。その敬神尊王(そんのう)の主義を現したる歌の中に

高山彦九郎正之

大御門(おおみかど)そのかたむきて橋上に頂根(うなね)突(つき)けむ真心(まごころ)たふと
をりにふれてよみつづけける(録一)

吹風(ふくかぜ)の目にこそ見えぬ神々は此(この)天地(あめつち)にかむづまります
独楽※(「口+金」、第3水準1-15-5)(録二)

たのしみは戎夷(えみし)よろこぶ世の中に皇国(みくに)忘れぬ人を見るとき

たのしみは鈴屋大人(すずのやうし)の後に生れその御諭(みさとし)をうくる思ふ時

赤心報国(せきしんもてくににむくゆ)(録一)

国汚す奴(やっこ)あらばと太刀抜(ぬき)て仇(あだ)にもあらぬ壁に物いふ

示人(ひとにしめす)(録一)

天皇(すめらぎ)は神にしますぞ天皇の勅(ちょく)としいはばかしこみまつれ

 極めて安心に極めて平和なる曙覧も一たび国体の上に想い到る時は満腔(まんこう)の熱血を灑(そそ)ぎて敬神の歌を作り不平の吟をなす。慷慨淋漓(こうがいりんり)、筆、剣のごとし。また平日の貧曙覧に非ず。彼がわずかに王政維新の盛典に逢(あ)うを得たるはいかばかりうれしかりけむ。

慶応四年春、浪華に

行幸あるに吾(わが)

宰相君(さいしょうのきみ)御供仕(おんともし)たまへる御とも仕(つこう)まつりに、上月景光主(こうづきかげみつぬし)のめされてはるばるのぼりけるうまのはなむけに

天皇の御(み)さきつかへてたづがねののどかにすらん難波津に行(ゆけ)

すめらぎの稀(まれ)の行幸(いでまし)御供(みとも)する君のさきはひ我もよろこぶ

天使のはろばろ下りたまへりける、あやしきしはぶるひ人(びと)どもあつまりゐる中にうちまじりつつ御けしきをがみ見まつる

隠士も市の大路に匍匐(はらばい)ならびをろがみ奉(まつ)る雲の上人

天皇の大御使(おおみつかい)と聞くからにはるかにをがむ膝をり伏せて

 勅使をさえかしこがりて匍匐(はらば)いおろがむ彼をして、一たび二重橋下に鳳輦(ほうれん)を拝するを得せしめざりしは返すがえすも遺憾(いかん)のことなり。

都にのぼりて

大行(たいこう)天皇の御はふりの御わざはてにけるまたの日、泉涌寺(せんにゅうじ)に詣(もうで)たりけるに、きのふの御わざのなごりなべて仏さまに物したまへる御ありさまにうち見奉られけるを畏(かしこ)けれどうれはしく思ひまつりて

ゆゆしくも仏の道にひき入るる大御車(おおみくるま)のうしや世の中

 曙覧は王政維新の名を聞きて、その実を見るに及ばざりしなり。


〔『日本』明治三十二年三月二十四日〕
その4へ続く



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