スポンサーサイト

  • --/--/--(--) --:--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


【関連エントリー】

曙覧の歌-その5

  • 2009/07/19(日) 20:13:10

『古今集』以後今日に至るまでの撰集、家集を見るに、いずれも四季の歌は集中の最要部分を占めて、少くも三分の一、多きは四分の三を占むるものさえあり。これに反して四季の歌少く、雑(ぞう)の歌の著(いちじるし)く多きを『万葉集』及び『曙覧集』とす。この二集の他に秀でたる所以(ゆえん)なり。けだし四季の歌は多く題詠にして雑の歌は多く実際より出(い)づ。『古今集』以後の歌集に四季の歌多きは題詠の行われたるがためにして世下るに従い恋の歌も全く題詠となり、雑の歌も十分の九は題詠となりおわりぬ。曙覧の歌すら四季のには題詠とおぼしきがあり、かつ善からぬが多し。題詠必ずしも悪(あ)しとに非ず、写実必ずしも善しとに非ず。されど今日までの歌界の実際を見るに題詠に善き歌少くして写実に俗なる歌少し。曙覧が実地に写したる歌の中に飛騨(ひだ)の鉱山を詠めるがごときはことに珍しきものなり。

日の光いたらぬ山の洞(ほら)のうちに火ともし入(いり)てかね掘出(ほりいだ)す

赤裸(まはだか)の男子(おのこ)むれゐて鉱(あらがね)のまろがり砕く鎚(つち)うち揮(ふり)て

さひづるや碓(からうす)たててきらきらとひかる塊(まろがり)つきて粉(こ)にする

筧(かけひ)かけとる谷水にうち浸しゆれば白露手にこぼれくる

黒けぶり群(むらが)りたたせ手もすまに吹鑠(ふきとろ)かせばなだれ落(おつ)るかね

鑠(とろ)くれば灰とわかれてきはやかにかたまり残る白銀の玉

銀(しろがね)の玉をあまたに筥(はこ)に収(い)れ荷緒(にのお)かためて馬馳(はし)らする

しろがねの荷負(おえ)る馬を牽(ひき)たてて御貢(みつぎ)つかふる御世のみさかえ

 採鉱溶鉱より運搬に至るまでの光景仔細(しさい)に写し出(いだ)して目覩(み)るがごとし。ただに題目の新奇なるのみならず、その叙述の巧(たくみ)なる、実に『万葉』以後の手際なり。かの魚彦(なひこ)がいたずらに『万葉』の語句を模して『万葉』の精神を失えるに比すれば、曙覧が語句を摸(も)せずしてかえって『万葉』の精神を伝えたる伎倆は同日に語るべきにあらず。さわれ曙覧は徹頭徹尾『万葉』を擬せんと務めたるに非ず。むしろその思うままを詠みたるが自(おのずか)ら『万葉』に近づきたるなり。しこうして彼の歌の『万葉』に似ざるところははたして『万葉』に優るところなりや否や、こは最(もっとも)大切なる問題なり。

 余は断定を下していわん、曙覧の歌想は『万葉』より進みたるところあり、曙覧の歌調は『万葉』に及ばざるところありと。まず歌想につきて論ぜん。


〔『日本』明治三十二年三月二十八日〕
その6へ続く

スポンサーサイト


【関連エントリー】

この記事に対するトラックバック

この記事のトラックバックURL

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事に対するコメント

この記事にコメントする

管理者にだけ表示を許可する
<a href="http://www.linkedtube.com/yCxQ5vdBeJ0fdedf968d47f58ee2d7a766214ad08fb.htm">LinkedTube</a>

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。