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曙覧の歌-その8

  • 2009/07/22(水) 22:34:06

世に『万葉』を模せんとする者あり、『万葉』に用いし語の外は新らしき語を用いず、『万葉』にありふれたる趣のほかは新しき趣を求めず、かくのごとくにして作り得たる陳腐なる歌を挙げ、自ら万葉調なりという、こは『万葉』の形を模して『万葉』の精神を失えるものなり。『万葉』の作者が歌を作るは用語に制限あるにあらず、趣向に定規あるにあらず、あらゆる語を用いて趣向を詠みたるものすなわち『万葉』なり。曙覧が新言語を用い新趣味を詠じ毫(ごう)も古格旧例に拘泥せざりしは、なかなかに『万葉』の精神を得たるものにして、『古今集』以下の自ら画して小区域に局促(きょくそく)たりしと同日に語るべきにあらず。ただ歌全体の調子において曙覧はついに『万葉』に及ばず、実朝に劣りたり。惜(おし)むべき彼は完全なる歌人たるあたわざりき。

 曙覧の歌の調子につきて例を挙げて論ぜんか。前に示したる鉱山の歌のごときは調子ほぼととのいたり、されどこれほどにととのいたるは集中多く見るべからず、ましてこれより勝りたるはほとんどあるなし。

書中乾胡蝶(しょちゅうのからこちょう)

からになる蝶には大和魂を招きよすべきすべもあらじかし

 結句字余りのところ『万葉』を学びたれど勢(いきおい)抜けて一首を結ぶに力弱し。『万葉』の「うれむぞこれが生返るべき」などいえるに比すれば句勢に霄壌(しょうじょう)の差あり。

緇素月見(しそつきをみる)

樒(しきみ)つみ鷹(たか)すゑ道をかへゆけど見るは一つの野路の月影

 この歌は『古今』よりも劣りたる調子なり。かくのごとき理屈の歌は「月を見る」というような尋常の句法を用いて結ぶ方よろし。「見るは月影」と有形物をもって結びたるはなかなかに賤(いや)しく厭(いと)わし。



あないぶせ銚子(さしなべ)かけてたく藁(わら)のもゆとはなしに煙のみたつ
「あないぶせ」とかように初(はじめ)に置くこと感情の順序に戻(もと)りて悪し。『万葉』にてはかくいわず。全くこの語を廃するか、しからざれば「煙立ついぶせ」などように終りに置くべし。下二句の言い様も俗なり。



賤家(しずがいえ)這入(はいり)せばめて物ううる畑のめぐりのほほづきの色
 この歌は酸漿(ほおずき)を主として詠みし歌なれば一、二、三、四の句皆一気呵成(かせい)的にものせざるべからず。しかるにこの歌の上半は趣向も混雑しかつ「せばめて」などいう曲折せる語もあり、かたがたもって「ほほづきの色」という結句を弱からしむ。

よそありきしつつ帰ればさびしげになりてひをけのすわりをる哉(かな)

 句法のたるみたる様、西行の歌に似たり。「さびしげになりて」という続きも拙く「すわりをるかな」のたるみたるは論なし。「なりて」の語をやめて代りに「火桶(ひおけ)」の形容詞など置くべく、結句は「火桶すわりをる」のごとき句法を用うるか、または「○○すわりをる」「すわり○○をる」のごとく結びて「哉」を除くべし。
かつふれて巌(いわお)の角に怒りたるおとなひすごき山の滝つせ

 この歌は滝の勢(いきおい)を詠みたるものにて、言葉にては「怒りたる」が主眼なり。さるを第三句に主眼を置きしゆえ結末弱くなりて振わず。「怒り落つる滝」などと結ぶが善し。

島崎土夫主(しまざきつちおぬし)の軍人(いくさびと)の中にあるに

妹が手にかはる甲(よろい)の袖(そで)まくら寝られぬ耳に聞くや夜嵐(よあらし)

 上三句重く下二句軽く、瓢(ひさご)を倒(さかしま)にしたるの感あり。ことに第四句力弱し。

狛君(こまぎみ)の別墅(べっしょ)二楽亭

広き水真砂のつらに見る庭のながめを曳(ひき)て山も連なる

 前の歌と同じ調子、同じ非難なり。


〔『日本』明治三十二年四月二十二日〕
その9へ続く

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