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読書弁

  • 2009/12/02(水) 00:49:29





 大凡一個の人間の慾には一定の分量ある者と思はる。例へば甲なる者の慾心は百斤あるものならば、常に此分量を限りとして百斤より増すこともなく又減ずることなし。併し慾には種類ありて食慾色慾等五官の慾を初めとして無形の名誉に至るまで千差万別あることなるが、其各種の慾心には消長盛衰あれども其総体の分量は固より百斤ならば百斤の外に出づることなし。各人の分量を比較して相同じきや、又多くは相異なる者なるや、未だ断定し難しといへども、余の臆測によれば通例の人間は略々相同じき者と思惟する故に、今甲乙二人の慾の分量を各百斤として之を分析せんに

  ┌ 色     慾    六十斤┐
 甲┤ 修  飾  慾    三十斤├百斤
  └ 其 他 雑 慾    十 斤┘
  ┌ 読  書  慾    七十斤┐
 乙┤ 食     慾    十五斤├百斤
  └ 其 他 雑 慾    十五斤┘
[#罫線の部分は、「{」「}」で括る]

(読書慾なども開析すれば名誉又は五官の慾に帰すべけれども姑く其方法によりて名くるのみ)

 右甲乙二者に於て甲は世に所謂放蕩書生の類にして乙は即ち勉強家の類なり。其総分量は百斤なれば若し甲の色慾減じて五十斤とならば、其十斤だけの分量は修飾慾か又は雑慾の部に入りて其分量の総数を充たすべし。今乙者の雑慾中の色慾にして二十斤を加ふれば則ち読書慾は減じて五十斤となり、色慾増して五十斤とならば読書慾は二十斤となるべし。是等の例は世に屡々見る所にして、勉強家漸次に変じて放蕩家となるが如き此類なり。又甲者といへども読書慾全く無きにはあらず、読書して知識を得、而してそれによりて名誉を得、金銭を得んことを希望せざるもの少し。只々其慾心は内に萌芽を含むのみにて、現はれて実際の慾とならざるのみ。即ち六十斤の色慾あらば其外に六十斤の読書慾を現はさんとするも到底分量上に許さゞるなり。故に一慾起れば一慾消え、一情発すれば一情衰ふ。昨日の放蕩家は変じて今日の勉強家となるも、其放蕩と勉強とは同時に許さるべからざるは勿論なり。

 夫れ人は木石にあらず、誰か色情なからん。人は禽獣にあらず、誰か名誉心なからん。只々恠しむべきは色情無きが如く見ゆる人あり。名誉心は殆ど消滅したるかと思はるゝ人あることなり。即ち語を換へていへば種々の慾心の内に潜んで現はれざるものと、外に出て盛なる者との区別あることなり。此内伏外顕の原因を如何にと探るに、そは固より其人の性質習慣境遇によるものなるべし。幼にして俎豆をならべ礼譲を学ぶ者あり。長じても花にうかれ柳にさそはれ内を外に遊ぶ者あり。是等は一は其性質により(性質とは遺伝を重とし教育にもよるべし)二は其習慣により(習慣とは不適当なる文字なれども幼児より外部即ち四囲の境遇又は自然の薫陶などにて習慣となりたるなり)三は其境遇による(此境遇とは其慾を充たすべき方法の備はり居ると然らざるなり。例えば金銭或は位置等の如し)此故に同種の慾を備へ居る人間が一様に人と為らぬは其筈の事にて、恰も同一の性質を備へたる尊氏、義貞が地を易ふれば敵となりて相戦ふが如し。

 扨人間は右の如く慾あるものなるに若しそを少しにても押へて発せざらしめば、即ち百斤のものを九十五斤となさば其人は神経病を起すなり。(通例の欝憂も皆此理なるべし)其押へる度甚しければ所謂狂癲となり、狂癲の極は即ち自殺するに至るべし。耳目鼻口の慾を制限したるより気狂ひとなりたる例は稀ならぬことにて、少し失望のことあれば不愉快の感を起し何となくふさぐといふことは誰も日々二三度づつは経験する所なり。現に去年のことなりけん今年のことなりけん、外国のさるやんごとなき御方のわりなく思ひつゞけられ其慾のとげられぬ為、仮の浮世をはかなみて蓮の台へと急がせられしは浅ましき限りと思ふ人多かれども、こは人間の免るべからざることなりと思へば、吾妻橋より手を引きて情死すると変りあるべくもあらず。されば如何に癇癖の人なりとて心に少しも不満足なければ狂癲となり、あるは自殺することなかるべし。

 今迄が冒頭にて是からが自分の身に引き合して見る積りでありますから、左様御承知を願ひます。扨自分は如何なる人間なるやといふにおのれのことを判然といひがたけれども、前例の甲乙二者の中どちらに類似するかといふと、寧ろ乙者に類する者と思はるゝなり。然らば自分の性質はもと読書を好む者なりしやといふに決して然らざるなり。自分が多少読書を勉むるに至りしは重に境遇なりしと覚ゆ。そを如何にと尋ぬるに自分は幼少の時より学校へも行き多少漢書の素読もなしたるが、其時分より読書を面白いと思ふたことは一度もなく、随て帰宅の後復習したる例もなし、現に観山翁に孟子の素読を学ぶ時なりけん、翁は自分に向ふて余の幼時は汝の如く不勉強にはあらざりしよと宣ひたるを八九歳の子供心にも記憶し居れり。自分は昔も今も心から底から読書が好きとは思はず。読書よりはおのが気まゝ気随に遊びて暮すを好ましく思へども、何分貧家に生れ一文の金も贅沢には消費し得ざる身分なれば思ふ様に遊ぶこと能はず、併し乍ら多情(多慾といふも同じ事なり)の生れとて此ままに朽ち果てんは我本意にあらず。されば如何にして暮さんやといふに読書して名を挙ぐるの一事なりき。(勿論此時分には金なくては学問も出来ぬなどとは存ぜず、却て学問は貧生の職業と心得たる位なり)これ自分がさきに我読書の方向は我境遇に因て定められたりといひし所以なり。又我思ふ儘に遊べぬからして負け惜みにも貧乏で名を揚げんと企てたるはさることなれども、何故読書といふ方法を取れりやといふにそは習慣によるものにして、幼時より無理に書を読ませられいやながら学校へも行き、又傍ら外祖父などの為に薫陶せられゐたるが為なるべし。只今でも何人か自分に鉅万の財産を与ふるものあらば自分は最早読書といふ一方に傾かざるべし。

 前に一寸多情といふことをいひたるが、冒頭に即ち総論に説き落したれば少し前にかへりてのぶべし。初めにもいふ通り各人の慾の分量は大方相同じけれども、どうも多少は其分量を異にするが如し。其多き者を多情の人といひ、少き者を白痴の人といふ。白痴の人ならば多少其情慾を制限すればとてもと/\其分量が少ければ余り感ぜざれども、多情の人に在ては傍よりは何も気がつかぬことでも其人の気にさはりて欝憂病を起すことあり。俗に之を感じが強いとか、神経が鋭敏に過ぎるとかいふ。自分が慾とか慾心とかいふは皆此感じのことにて、俗の又俗なる語を用ゐしなり。世に狂気となる人多くは皆平生おとなしき人にて且つ考へのある人なり。俗人は右等の人の狂ひ出すを見て「あの人がマア」といふて驚く者あれども驚く方が間違ひにて、此の如き人は感情の多きくせに之を漏すべき即ち実行すべき手段なく方法なき為に、百五十斤の慾心もそれだけ現はれずして狂気となり自殺となるなり。気の換り易き人は一にて失望すれば他に満足すべき方法を見出すことやすし。酒を飲む人禁酒して煙草を喫し、禁烟して又菓子を食ふ、此の如きこそ多情といふべけれ。世人の所謂多情なるものは多情にあらずして深情とか濃情とかいふ方適切ならんか。呵々。

 自分はどちらかといふと多情なる方ならん。(多情とは勿論世俗に所謂に従ふなり)多情なるが故に若し何かの事情により一方に傾けば其方向に固著して他方に向ふこと稀なり。又前に慾を論ずる条に生命の慾を言はざりしが、こは論外として置きたるものにて、此慾は十分の九位を占め居ること何人にても同じことなれば書くも書かざるも比較上差支なしと思ひたれども、こゝに至りてかつぎ出さねばならぬ場合に立ち至れり。即ち多情の人に至りては其多情の為に生命の慾を減殺することあり。他語以て之を言へば生命を軽んずることなり。自分の読書の慾も少しは此域に達し、此慾の為にならば多少は生命を減消するもかまはぬとの考を起したり。自分は固より朝に道を聞て夕に死を恐れざる聖人にもあらず、又此世に生を受けし限りは人間の義務として完全無欠の人間に近づかんといふが如き高尚なる徳を有するものにはあらねども、自分も亦沐猴にあらず、鸚鵡にあらず、食ふて寝ておきて又食ふといふ様な走尸行肉となるを愧づるものなれば、数年前より読書の極は終に我身体をして脳病か肺病かに陥らしむるとは万々承知の上なり。只々今日已に子規生なる仮名を得んとは思の外なりしかども、これもよく/\考へて見れば少し繰あげたるのみにて、今更驚くにも足らざるべし。多情の好男子、多恨の佳女子相恋ひ相思ふの極、終に生命を以て感情の犠牲として刀剣に伏し毒薬を飲むと何ぞ異ならんや。彼は未来に於て一蓮互に半座を分たんことを希ひ、これは今生未来に於て能く名声を竹帛にたれんことを願ふの差あるのみ。斯く一生の目的は一巻も多く読み一枚も多く著すにあれば、只々此病の為に日月を縮められ其目的を達し得ざるを憂ふるのみなり。若し今一年廃学して後に五年となり十年となりの年月を延ぶるを得ば宜しけれども、さもなくば自分は一日も書を読まざるを好まざるなり。或は今一年廃学したる為に後に一年と一日でも命を長くすれば一日だけの得ならずやといふ人あるべけれども、そは損得の理論にして感情の理論と損得の理論と両立せざることを知らざるものなり。自分の多情なる、徒然に一年の長日月を経過するは一刻千金に折算して八百余万円を浪費するよりも惜しく思はるゝなり。理に於て為すべき事も情に於て為し肯ぜざること数々なるは改めていふ迄のこともなかるべし。自分は一字も多く読みたきは一生の願なれども、其願は一刻も早く成就せんことを冀ふものなり。近欲(チカヨク)は遠大の利にあらざるは万々承知なれども、其近欲に迷ふて一年も早く書を読みたきは感情の然らしむる所、自分ながら又已むを得ざるなり。斯く言はゞ或はそは汝が我儘なり、得手勝手といはれんかも知らざれども、其我儘も中々に得手勝手ならざる所以を以前の議論にあてはめて論ぜんとす。

 今自分をして一年廃学せしめんか、自分の慾の中の一大部分なる読書慾を全く減却し去る者なれば、其代りに来るべき六十乃至七十斤の慾は何なるべきや。人は自分に種々の仕事を教ふれども、我感情の承知せざるを如何せん。我呂尚にあらず、又天下第一の愚者にもあらず、釣を垂るゝ終日空しく痴魚の欺かるゝを待つを欲せんや。我性朽木の如く彫すべからずと雖も、宰我の如く昼寝ぬる得んや。或はたゞ山野に※(「彳+淌のつくり」、第3水準1-84-33)※(「彳+羊」、第3水準1-84-32)せよ、林間に遊猟せよと勧めらるゝ人々も多かれども、そはたま/\には心慰む方もあらん。毎日々々かくては送られず。固より天性発明なる人(genius アル人)即ち天稟の聖人ならば山野に遊び江湖に泛びて高尚深遠の哲学を発明する所多かるべけれど、頑愚痴迂なる一寒性、いかんぞ古人の遺書によらずして秋毫の屁理窟だもひねくり出すことを得んや。若し強ひて自分をして廃学なさしめば其結果如何は前論に照して明なるべし。狂たらんか、痴たらんか、将た恨を呑んで鬼たらんか。噫槿花は黄昏を知らず、※(「虫+惠」、第4水準2-87-87)蛄は春秋を知らず。五尺の人間無限の天地に生れて生命の長短を論ず、強者弱者を侮り寿者夭者を笑ふ、豈蟷螂の蟋蟀を侮り寒氷の泡沫を笑ふに異ならんや。

 客問ふて曰く、然らば君をして廃学せしむる方これなきか。曰く、有り。只々行ひ難きのみ。何ぞや。曰く、我に鉅万の財を与へて思ふ存分に消費せしむるのみ。客瞠若たり。我曰く、誰か我に鉅万の財を与ふる者ぞ。天を仰いで呵々として大笑す。

 客又曰く、君何ぞ得手勝手なるや。君の一身は是君の所有にして君の所有にあらず。君は君の家を思はざるか。余黙然。君は君の先人の名を揚ぐるを喜ばざるか。余黙々。是等は西洋流に従ふて姑く顧みずとせん。君猶慈母の堂にあるあり。頼む所は只々君のみ。愛する所は只々君のみ。君一身を捨てゝ将に慈母を如何せんとするや。答へて曰く、請ふ言ふをやめよ。我平生務めて俗縁を絶了せんとす。君今却て已絶の絃を続がんとす。我心腸為に寸断せんとす。請ふ我をして狂たらしむるなかれ。嗚咽之を久しうす。

明治二十二年八月十五日褥中筆を執りて記す
  こゝに消えかしこにできて物質のへりもせずまた加はりもせず



底本:「日本の名随筆36 読」作品社
   1985(昭和60)年10月25日第1刷発行
   1991(平成3)年9月1日第10刷発行

底本の親本:「子規全集 第十二巻」改造社 1930(昭和5)年11月初版発行


東西南北序

  • 2009/12/01(火) 01:35:53

 鐵幹、歌を作らず。しかも、鐵幹が口を衝(つ)いて發するもの、皆歌を成す。其短歌若干首、之を敲(たた)けば、聲、釣鐘の如し。世人曰く、不吉の聲なりと。鐵幹自ら以て、大聲は俚耳(りじ)に入らずと爲す。其長歌若干首、之を誦するに、壯士劍に舞へば、風、木葉を振ふが如し。世人曰く、不祥の曲なりと。鐵幹自ら以て、世人皆醉へり、吾獨り醒めたりと爲す。鐵幹自ら恃(たの)む所の、何ぞ夫れ堅にして頑なるや。余も亦、破れたる鐘を撃ち、錆びたる長刀を揮うて舞はむと欲する者。只其力足らずして、空しく鐵幹に先鞭を着けられたるを恨む。今や鐵幹、其長短歌を集めて一卷と爲し、東西南北といふ。余に序を索(もと)む。余、鐵幹を見る、日猶淺し。之に序する、余が任にあらず。然れども、其歌を知るは、今日に始まるに非ず。其歌集に序する、亦何ぞ妨げむ。乃(すなは)ち序をつくる。


明治二十九年七月一日

東京上根岸僑居に於て、

子規子しるす。

〔與謝野鐵幹著『東西南北』明治書院 明治29[#「29」は縦中横]・7・10[#「10」は縦中横]刊〕




底本:「子規全集 第七卷 歌論 選歌」講談社 1975(昭和50)年7月18日第1刷発行

初出:「東西南北」明治書院 1896(明治29)年7月10日


  • 2009/11/30(月) 13:48:21

のぼる

 空はうらゝかに風はあたゝかで、今日は天上に神様だちの舞踏会のあるといふ日の昼過、白い蝶と黄な蝶との二つが余念無く野辺に隠れんぼをして遊んで居る。今度は白い蝶の隠れる番で、白い蝶は百姓家の裏の卯の花垣根に干してある白布の上にちよいととまつて静まつて居ると、黄な蝶はそこらの隅々を探して、釣瓶の中や井の中を見たが何処にも居らんので稍失望した様子であつた。忽ち思ひついたかして彼方の垣の隅へ往て葵の花を上から下へ一々に覗いても矢張こゝにも居らんので、仕方無しにもとの井戸端に帰らうとして、ふと干し布の上の白い蝶を見つけた。「オヤいやだよ。こんな処に居たのだよト変な調子でいふたので、白い蝶は思はず笑ひ出した。「ほんとに可笑しいよ、お日様の照る処に居るのがきイちやんには見えないのだもの。さア早くお隠れよ。直に見ツけてあげるからト白い蝶はいふたので、黄な蝶も笑ひながら、あちらの木立を指して飛んで往た。暫くして白い蝶は後を追ふて産土神の鳥居迄来て、あたりを見廻して居ると向ふの木の間に、ちらと物影が見えたやうであつた。「屹度あの榎のうろの中へ隠れたんだよト独りつぶやきながら、榎の蔭迄来ると、羽音を静めて、あべこべにおどかしてやらうと思ふて、うろへはいるや否や、大きな声で、「とートいふた。すると、神鳴のやうな声で、「誰だよ、出し抜けに大きな声をしやアがるのはトいふのを見ると目に余るやうな山女郎であつた。白い蝶は肝を潰して真青になつて後も見ずに逃げ出したが、空を飛んでは追ひつかれると思ふて、成るたけ刺の多い草むらの間をくゞりくゞり逃げた。黄な蝶は薊の葉裏に隠れて居たが、白い蝶の事ありげにあわてゝ飛んで往くのを見て、後から追ひかけた。「オーイ/\トいふて呼ぶといよ/\あわてゝ逃げるやうなので、「あたいだよあたいだよト続け様に呼んだら、やう/\聞えたか後ふり向いて息をはづませて居る。「どうしたのだよトいふと、「なに、山女郎が追つかけると思ふてト前の一伍一什を話した。「それではあの化物榎なの。あんな処へあたいが隠れて居ると思ふたの。化物榎と聞いたばかりでも身の毛がよだつぢヤないかト黄な蝶は羽を震はしていふた。「だけれど、若しあんな処へ隠れて居ておどかす積りかも知れないと思ふてト少し落ちついた様子だ。やゝ暫し二つで何事か相談して居たが、終につれだちて、野中にある何がし様のお下屋敷の塀の内へ飛んではいつた。お下屋敷の牡丹畠にはおくれ咲の牡丹がところ/\に植ゑてある。向ふの方には舶来の草花らしいのが毒々しい色に咲いて、鉢栽のまゝいくつも片よせられて居る。今年はひイ様が御病気で、牡丹の盛りにもこちらへおいでが無いので、園は少し荒れたまゝ手入せずにある。留守居の人一人と門番の爺さん夫婦としか居らんのでお邸の内はしんと静まつて、丸で明家のやうだ。二つの蝶はこゝへ来ると案内知り顔にあちらの花こちらの花とうれしさうにうかれて居たが、やがて二つは一処に、くれなゐの大輪の牡丹の蘂に、羽をかはしてとまつた。「くたびれて眠くなつたト白い蝶は僅に羽を動かしながらいふた声は眠さうであつた。「もう寐るのト黄な蝶もはや眠りかけて居る。夕日の影は斜に権現の森を掠めて遠くに聞ゆる入相の鐘はあくびするやうに響いて来る。牡丹の花びらは少しづゝ少しづゝつぼまつて、とう/\二つの蝶を包んでしまふた。遠くも近くも霞みながらに暮れて、かづきかけたやうな月がぼんやりと上つた時、空遥かに愉快さうな音楽が聞えた。丁度今は六番目の舞踏で、美の神が胡蝶の舞を始めた処であつた。

子規



 哲学書を入れた本箱の上に、「女王」と上書した小さい函がある。これが僕の蓄へて居る蝶の宮殿だ。蓋の裏に列記せられたる女王の名は「花せゝり」「黄まだら」「日陰蝶」「蛇の目」「豹文」「緋威」「黄べり立て羽」「揚羽」「一文字」「山黄蝶」「日光白蝶」「大紫」「山女郎」などで、其中で価の貴いのは大紫、可愛らしいのは山黄蝶であらう。

子規



 独り病牀にちゞかまりて四十度以下の寒さに苦む時、外に遊び居たる隣の子が、あれ蝶々が蝶々がといふ声を聴いて一道の春は我が心の中に生じた。それはたしか二月の九日であつた。



底本:「日本の名随筆35 虫」作品社
   1985(昭和60)年9月25日第1刷発行
   2000(平成12)年1月30日第13刷発行

底本の親本:「子規全集 第一二巻」講談社 1975(昭和50)年10月発行


高尾紀行

  • 2009/11/25(水) 09:00:32

 旅は二日道連は二人旅行道具は足二本ときめて十二月七日朝例の翁を本郷に訪ふて小春のうかれありきを促せば風邪の鼻すゝりながら俳道修行に出でん事本望なりとて共に新宿さしてぞ急ぎける。

 きぬ/″\に馬叱りたる寒さかな (鳴雪)

 暫くは汽車に膝栗毛を休め小春日のさしこむ窓に顏さしつけて富士の姿を眺めつゝ
 荻窪や野は枯れはてゝ牛の聲 (鳴雪)

 堀割の土崩れけり枯薄 (同)

 雪の脚寶永山へかゝりけり

 汽車道の一筋長し冬木立

 麥蒔やたばねあげたる桑の枝

 八王子に下りて二足三足歩めば大道に群衆を集めて聲朗かに呼び立つる獨樂まはしは昔の仙人の面影ゆかしく負ふた子を枯草の上におろして無慈悲に叱りたるわんぱくものは未來の豐太閤にもやあるらん。田舍といへば物事何となくさびて風流の材料も多かるに

 店先に熊つるしたる寒さかな (鳴雪)

 干蕪にならんでつりし草鞋かな (同)

 冬川や蛇籠の上の枯尾花 (同)

 木枯や夜著きて町を通る人

 兀げそめて稍寒げなり冬紅葉

 冬川の涸れて蛇籠の寒さかな

 茶店に憩ふ。婆樣の顏古茶碗の澁茶店前の枯尾花共に老いたり。榾焚きそへてさし出す火桶も亦恐らくは百年以上のものならん。

 穗薄に撫でへらされし火桶かな

 高尾山を攀ぢ行けば都人に珍らしき山路の物凄き景色身にしみて面白く下闇にきらつく紅葉萎みて散りかゝりたるが中にまだ半ば青きもたのもし。

 木の間より見下す八王子の人家甍を竝べて鱗の如し。

 目の下の小春日和や八王子 (鳴雪)

 飯繩權現に詣づ。

 ぬかづいて飯繩の宮の寒きかな (鳴雪)

 屋の棟に鳩ならび居る小春かな

 御格子に切髮かくる寒さかな

 木の葉やく寺の後ろや普請小屋

 山の頂に上ればうしろは甲州の峻嶺峨々として聳え前は八百里の平原眼の力の屆かぬ迄廣がりたり。

 凩をぬけ出て山の小春かな

 山を下りて夜道八王子に著く。

 八日朝霜にさえゆく馬の鈴に眼を覺まし花やかなる馬士唄の拍子面白く送られながら八王子の巷を立ち出で日野驛より横に百草の松蓮寺を指して行くに、

 朝霜や藁家ばかりの村一つ

 冬枯やいづこ茂草の松蓮寺 (鳴雪)

 路に高幡の不動を過ぐ。

 松杉や枯野の中の不動堂

 小山を※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)りて寺の門に至る。石壇を上れば堂宇あり。後の岡には處々に亭を設く。玉川は眼の下に流れ武藏野は雲の際に廣がる。

 玉川の一筋ひかる冬野かな (鳴雪)

 寺を下りて玉川のほとりに出で一の宮の渡を渡る。

 鮎死で瀬のほそりけり冬の川

 府中まで行く道すがらの句に

 古塚や冬田の中の一つ松 (鳴雪)

 杉の間の隨神寒し古やしろ (同)

 鳥居にも大根干すなり村稻荷 (同)

 小春日や又この背戸も爺と婆

 府中にてひなびたる料理やにすき腹をこやし六所の宮に詣づ。饅頭に路を急ぎ國分寺に汽車を待ちて新宿に著く頃は定めなき空淋しく時雨れて田舍さして歸る馬の足音忙しく聞ゆ。

 新宿に荷馬ならぶや夕時雨

 家に歸れば人來りて旅路の絶風光を問ふ。答へていふ風流は山にあらず水にあらず道ばたの馬糞累々たるに在り。試みに我句を聞かせんとて

 馬糞もともにやかるゝ枯野かな

 馬糞の側から出たりみそさゞい

 馬糞のぬくもりにさく冬牡丹

 鳥居より内の馬糞や神無月

 馬糞のからびぬはなしむら時雨

と息をもつがず高らかに吟ずれば客駭いて去る。



底本:「現代日本紀行文学全集 東日本編」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年8月1日初版発行

初出:「日本」 1892(明治25)年12月号


すゞし

  • 2009/11/17(火) 12:07:50

「すゞし」といふ語は「すが/\し」のつゞまりたるにやと覚ゆれど、意義稍(やや)変りておもに気候に関(くわん)して用うる事となり、「涼」の字をあてはむるやうにはなりぬ。月令には「涼風至白露降」といふを七月としたれば涼風は初秋の風なるべし。されば支那の詩亦多くは初秋に涼の字を用う。すゞしといふ語は万葉には無きかと思はる。


古今集には

みな月つこもりの日よめる 躬恒
夏と秋とゆきかふ空のかよひちはかたへ涼しき風や吹くらん
秋立日うへのをのことも加茂の川原に川せうえうしけるともにまかりてよめる 貫之
川風の涼しくもあるかうちよする浪とともにや秋は立つらん


後撰集には

是貞(これさだ)の親王(みこ)の家の歌合(うたあはせ)に 読人しらす
にはかにも風の涼しくなりぬるか秋たつ日とはうへもいひけり


拾遺(しうゐ)集には

題しらす 安貴王
秋立ちていくかもあらねとこのねぬるあさけの風は袂涼しも


などあり。


此等は皆秋涼の意を詠みし者にて夏に詠みたる者無し。(秋立ちての歌は万葉にありやなしやたしかならねど若し安貴王にして万葉所載の安貴王と同人ならば万葉時代既に「すゞし」の語を用ゐたるなり)


後拾遺集に至れば

秋たつ日よめる 読人しらす
うちつけに袂すゞしくおぼゆるは衣に秋のきたるなりけり

などいふ秋の歌の外に

宇治前太政大臣家に三十講の後歌合し侍りけるによみ侍りける 民部卿長家
夏の夜もすゞしかりけり月影は庭しろたへの霜と見えつゝ
夏の夜涼しき心をよみ侍りける 堀河右大臣
ほともなく夏のすゞしくなりぬるは人にしられて秋やきぬらん
くれの夏有明の月をよめる 内大臣
夏の夜の有明の月を見る程に秋をもまたて風そすゝしき
泉の声夜に入て涼しといふ心をよみ侍りける 源師賢朝臣
さ夜深き岩井の水の音きけはむすはぬ袖も涼しかりけり

など夏に涼しといへる歌多く載せられぬ。霜といひ秋といひて「涼し」と結びたるは猶秋の意を離れねど「さ夜深き」の歌は秋とも霜ともいはで只「涼し」といひたるにて此語の稍夏に用ゐ初められたるを見るべし。


又同じ集に

題しらす 曾根好忠
夏衣(なつころも)立田河原の柳かけすゞみにきつゝならすころかな

とあり。此時既に「すゞむ」いふ動詞も出来たり。


金葉集にも

秋隔一夜(あきひとよをへだつ)といへる事をよめる 中納言顕隆
みそきするみきはに風の涼しきは一夜をこめて秋やきぬらん
百首歌の中に秋立心をよめる 春宮大夫公実
とことはにふく夕くれの風なれと秋たつ日こそ涼しかりけれ

の外に

水風暮涼といへる事をよめる 源俊頼朝臣
風ふけは蓮(はす)の浮葉(うきは)に玉こえて涼しくなりぬひくらしの声

といふ夏の歌を載せたり。此より後今日に至る迄歌には初秋にも涼しといひ又盛夏にも涼しといひ両様の意味に用うる事とはなりたり。


連歌及び俳句にては「涼し」「涼風」「涼み」などを夏季と定め、秋季には特に「秋涼」「初涼」「新涼」等の語を用うる事と定まりぬ、蓋し「すゞし」といふ語は初め

三伏の暑気退きて秋涼漸く至る

の意に用ゐられたる者が、後には

三伏の暑気灼くが如き中に(風又は水等のために)特に涼しく感ず

るの意に変じたるなり。



底本:「日本の名随筆37 風」作品社
   1985(昭和60)年11月25日第1刷発行
   1997(平成9)年2月20日第13刷発行

底本の親本:「子規全集 第一二巻」講談社
   1975(昭和50)年10月発行

※底本では「稍(やや)」を除くすべてのルビに「〈原〉」の注記が付されています。


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