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小園の記

  • 2009/11/11(水) 01:01:09

 我に二十坪の小園あり。園は家の南にありて上野の杉を垣の外に控へたり。場末の家まばらに建てられたれば青空は庭の外に拡がりて雲行き鳥翔(かけ)る様もいとゆたかに眺めらる。始めてこゝに移りし頃は僅(わずか)に竹藪を開きたる跡とおぼしく草も木も無き裸の庭なりしを、やがて家主なる人の小松三本を栽ゑて稍(やや)物めかしたるに、隣の老媼の与へたる薔薇の苗さへ植ゑ添へて四五輪の花に吟興(ぎんきょう)を鼓せらるゝことも多かりき。一年軍に従ひて金州に渡りしが其帰途病を得て須磨に故郷に思はぬ日を費し半年を経て家に帰り着きし時は秋まさに暮れんとする頃なり。庭の面去年よりは遥にさびまさりて白菊の一もと二もとねぢくれて咲き乱れたる、此景に対して静かにきのふを思へば万感そゞろに胸に塞がり、からき命を助かりて帰りし身の衰へは只此うれしさに勝たれて思はず三逕就荒(さんけいしゅうこう)と口ずさむも涙がちなり。ありふれたる此花、狭くるしき此庭が斯く迄人を感ぜしめんとは曾(かつ)て思ひよらざりき。況(ま)して此より後病いよ/\つのりて足立たず門を出づる能(あた)はざるに至りし今小園は余が天地にして草花は余が唯一の詩料となりぬ。余をして幾何(いくばく)か獄窓に呻吟するにまさると思はしむる者は此十歩の地と数種の芳葩(ほうは)とあるがために外ならず。つぐの年、春暖漸く催うして鳥の声いとうらゝかに聞えしある日病の窓を開きて端近くにじり出で読書に労(つか)れたる目を遊ばすに、いき/\たる草木の生気は手のひら程の中にも動きて、まだ薄寒き風のひや/\と病衣の隙を侵すもいと心地よく覚ゆ。これも隣の嫗よりもらひしといふ萩の刈株寸ばかりの緑をふいてたくましき勢は秋の色も思はる。真昼過より夕影椎の樹に落つる迄何を見るともなく酔ふたるが如く労れたるが如くうつとりとして日を暮らすことさへ多かり。

 今迄病と寒気とに悩まされて弱り尽したる余は此時新たに生命を与へられたる小児の如く此より萩の芽と共に健全に育つべしと思へり。折ふし黄なる蝶の飛び来りて垣根に花をあさるを見てはそぞろ我が魂の自ら動き出でゝ共に花を尋ね香を探り物の芽にとまりてしばし羽を休むるかと思へば低き杉垣を越えて隣りの庭をうちめぐり再び舞ひもどりて松の梢にひら/\水鉢の上にひら/\一吹き風に吹きつれて高く吹かれながら向ふの屋根に隠れたる時我にもあらず惘然(ぼうぜん)として自失す。忽(たちま)ち心づけば身に熱気を感じて心地なやましく内に入り障子たつると共に蒲団引きかぶれば夢にもあらず幻にもあらず身は広く限り無き原野の中に在りて今飛び去りし蝶と共に狂ひまはる。狂ふにつけて何処ともなく数百の蝶は群れ来りて遊ぶをつら/\見れば蝶と見しは皆小さき神の子なり。空に響く楽の音につれて彼等は躍りつゝ舞ひ上り飛び行くに我もおくれじと茨葎のきらひ無く蹈(ふ)みしだき躍り越え思はず野川に落ちしよと見て夢さむれば寝汗したゝかに襦袢(じゅばん)を濡して熱は三十九度にや上りけん。

 げん/\の花盛り過ぎて時鳥(ほととぎす)の空におとづるゝ頃は赤き薔薇白き薔薇咲き満ちてかんばしき色は見るべき趣無きにはあらねど我小園の見所はまこと萩(はぎ)芒(すすき)のさかりにぞあるべき。今年は去年に比ぶるに萩の勢ひ強く夏の初の枝ぶりさへいたくはびこりて末頼もしく見えぬ。葉の色さへ去年の黄ばみたるには似ず緑いと濃し。空晴れたる日は椅子を其ほとりに据ゑさせ人に扶(たす)けられてやうやく其椅子にたどりつき、気晴しがてら萩の芽につきたるちいさき虫を取りしことも一度二度にはあらず。桔梗撫子は実となり朝顔は花の稍少くなりし八月の末より待ちに待ちし萩は一つ二つ綻(ほころ)び初たり。飛び立つばかりの嬉しさに指を折りて翌は四、あさつては八、十日目には千にやなるらんと思ひ設けし程こそあれある夜野分の風はげしく吹き出でぬ。安からぬ夢を結びてあくる朝、日たけて眠より覚むれば庭になにやらのゝしる声す。心もとなく這ひ出でゝ何ぞと問ふ。今迄さしもに茂りたる萩の枝大方折れしをれたるなりけり。ひたと胸つぶれていかにせばやと思へどせん無し。斯くと知りせば枝毎に杖立てゝ置かましをなど悔ゆるもおろかなりや。瓦吹き飛ばしたる去年の野分だに斯うはならざりしを今年の風は萩のために方角や悪かりけん。此日は晴れわたりてやゝ秋気を覚え初めしが余は例の椅子を庭に据ゑさせ、バケツとかな盥(だらい)に水を湛へて折れ残りたる萩の泥を洗へりしかど、空しく足の痛みを増したるばかりにて、泥つきし枝のさきは蕾腐りて終に花咲くことなかりき。園中何事も無きは只松と芒とのみ。

 去年の春彼岸やゝ過ぎし頃と覚ゆ、鴎外漁史より草花の種幾袋贈られしを直に播きつけしが百日草の外は何も生えずしてやみぬ。中にも葉鶏頭をほしかりしをいと口をしく思ひしが何とかしけん今年夏の頃、怪しき芽をあらはしゝ者あり。去年葉鶏頭の種を埋めしあたりなれば必定それなめりと竹を立てゝ大事に育てしに果して二葉より赤き色を見せぬ。嬉しくてあたりの昼照草など引きのけやう/\尺余りになりし頃野分荒れしかばこればかり気遣ひしに、思ひの外に萩は折れて葉鶏頭は少し傾きしばかりなり。扶け起して竹杖にしばりなどせしかば恙(つつが)なくて今は二尺ばかりになりぬ。痩せてよろ/\としながら猶燃ゆるが如き紅、しだれていとうつくし。二三日ありて向ひの家より貰ひ来たりとて肥え太りたる鶏頭四本ばかり植ゑ添へたり。そのつぐの日なりけん。朝まだきに裏戸を叩く声あり。戸を開けば不折子が大きなる葉鶏頭一本引きさげて来りしなりけり。朝霧に濡れつゝ手づから植ゑて去りぬ。鶏頭、葉鶏頭、かゝやく[#「かゝやく」はママ]ばかりはなやかなる秋に押されて萩ははや散りがちなりしもあはれ深し。薔薇、萩、芒、桔梗などをうちくれて余が小楽地の創造に力ありし隣の老嫗は其後移りて他にありしが今年秋風にさきだちてみまかりしとぞ聞えし。

ごて/\と草花植ゑし小庭かな



底本:「花の名随筆9 九月の花」作品社
   1999(平成11)年8月10日初版第1刷発行

底本の親本:「子規全集 第一二巻 随筆二」講談社
   1975(昭和50)年10月発行

※「媼」と「嫗」の混在は底本通りにしました。
※本文は旧仮名遣いですが、ルビは新仮名遣いであると判断して、ルビの拗促音は小書きしました。


死後

  • 2009/11/03(火) 09:13:06

 人間は皆一度ずつ死ぬるのであるという事は、人間皆知って居るわけであるが、それを強く感ずる人とそれ程感じない人とがあるようだ。或人はまだ年も若いのに頻りに死という事を気にして、今夜これから眠ったらばあしたの朝は此儘死んでいるのではあるまいかなどと心配して夜も眠らないのがある。そうかと思うと、死という事に就て全く平気な人もある。君も一度は死ぬるのだよ、などとおどかしても耳にも聞こえない振りでいる。要するに健康な人は死などという事を考える必要も無く、又暇も無いので、唯夢中になって稼ぐとか遊ぶとかしているのであろう。

 余の如き長病人は死という事を考えだす様な機会にも度々出会い、又そういう事を考えるに適当した暇があるので、それ等の為に死という事は丁寧反覆に研究せられておる。併し死を感ずるには二様の感じ様がある。一は主観的の感じで、一は客観的の感じである。そんな言葉ではよくわかるまいが、死を主観的に感ずるというのは、自分が今死ぬる様に感じるので、甚だ恐ろしい感じである。動気が躍って精神が不安を感じて非常に煩悶するのである。これは病人が病気に故障がある毎によく起こすやつでこれ位不愉快なものは無い。客観的に自己の死を感じるというのは変な言葉であるが、自己の形体が死んでも自己の考は生き残っていて、其考が自己の形体の死を客観的に見ておるのである。主観的の方は普通の人によく起こる感情であるが、客観的の方は其趣すら解せぬ人が多いのであろう。主観的の方は恐ろしい、苦しい、悲しい、瞬時も堪えられぬような厭な感じであるが、客観的の方はそれよりもよほど冷淡に自己の死という事を見るので、多少は悲しい果敢(はか)ない感もあるが、或時は寧ろ滑稽に落ちて独りほほえむような事もある。主観的の方は、病気が悪くなったとか、俄に苦痛を感じて来たとか、いう時に起こるので、客観的の方は、長病の人が少し不愉快を感じた時などに起る。

 去年の夏の頃であったが、或時余は客観的に自己の死という事を観察した事があった。先ず第一に自分が死ぬるというとそれを棺に入れねばなるまい、死人を棺に入れる所は子供の内から度々見ておるがいかにも窮屈そうなもので厭な感じである。窮屈なというのは狭い棺に死体を入れる許りでなく、其死体がゆるがぬように何かでつめるのが厭やなのである。余が故郷などにてはこのつめ物におが屑を用いる。半紙の嚢(ふくろ)を(縦に二つ折りにしたのと、横に二つ折りにしたのと)二通りに拵えてそれにおが屑をつめ、其嚢の上には南無阿弥陀仏などと書く。これはつめ処によって平たい嚢と長い嚢と各必要がある。それで貌の処だけは幾らか斟酌して隙を多く拵えるにした所で、兎に角頭も動かぬようにつめてしまう。つまり死体は土に葬むらるる前に先ずおが屑の嚢の中に葬むらるるのである。十四五年前の事であるが、余は猿楽町の下宿にいた頃に同宿の友達が急病で死んでしまった。東京には其男の親類というものが無いので、我々朋友が集まって葬ってやった事がある。其時にも棺をつめるのに何を用いるかと聞いてみたら、東京では普通に樒(しきみ)の葉なども用いるという事であった。それからそれを買うて来て例の通り紙の袋を拵えてつめて見た所が、つめ物が足りなかった。其処で再び樒の葉を買うて来て、今度は嚢を拵えるのも面倒だというので、其儘で其処らの隙をつめて置いた。棺は寐棺であったが、死人の頬の処に樒の葉が触っているなどというのは、いかにも気の毒に感じた。昔から斯ういう感じがあるので、余は自分を棺につめられる時にどうか窮屈にない様に、つめて貰いたいものだと、其事が頻りに気になってならぬ。西洋では花でつめるという事があるそうだが、これは我々の理想にかのうたような仕方で実によい感じがするのであるが、併し花ではからだ触りが柔かなだけに、つめ物にはならないような気がする。尤(もつとも)棺の幅を非常に狭くして死体は棺で動かぬようにして置けば花でつめるというのは日本のおが屑などと違ってほんの愛嬌に振撒て置くのかも知れん。そうすれば其棺は非常に窮屈な棺で、其窮屈な所が矢張り厭な感じがする。

 スコットランドのバラッドに Sweet William's Ghost というのがある。この歌は、或女の処へ、其女の亭主の幽霊が出て来て、自分は遠方で死だという事を知らすので、其二人の問答の内に、次のような事がある。

"Is there any room at your head, Willie?

Or any room at your feet?

Or any room at your side, Willie,

Wherein that I may creep?"

"There's nae room at my head, Margret,

There's nae room at my feet,

There's nae room at my side, Margret,

My coffin is made so meet."

 其意は、女の方が、私はお前の所へ行き度いが、お前の枕元か足元か、又は傍らの方に、私がはいこむ程の隙があるかというて、問うた所が、男の方即ち幽霊が答えるには、わたしの枕元にも、足元にも、傍らにも少しも透間がない、わたしの棺は、そんなにしっくりと出来て居る。というたのである。まさか比翼塚でも二つの死骸を一つの棺に入れるわけでも無いから、そんな事はどうでもいいのであるが、併しこの歌は痴情をよく現わしておると同時に、棺の窮屈なものであるという事も現わしておる。斯んな歌になって見ると、棺の窮屈なのも却て趣味が無いではないが、併し今自分の体が棺の中に這入っておると考えると、可成窮屈にないようにして貰いたい感じがする。尤もこれは肺病患者であると、胸を圧せられるなども他の人よりは幾倍も窮屈な苦しい感じがするのであろう。

 或時世界各国の風俗などの図を集めた本を見ていたら、其中に或国(国名は忘れたが、欧羅巴辺の大国では無かった)の王の死骸が棺に入れてある図があった。其棺は普通よりも高い処に置いてあって、棺の頭の方は足の方よりも尚一層高くしてある。其処には燈火が半ば明るく半ば暗く照して居って、周囲の装飾は美しそうに見える。王は棺の中に在って、顔は勿論、腹から足迄白い着物が着せてあるところがよく見える。王の目は静かにふさいでいる。王は今天国に上っている夢を見ているらしい。此画を見た時に余は一種の物凄い感じを起したと同時に、神聖なる高尚なる感じを起こした。王の有様は少しも苦しそうに見えぬ。若し余も死なねばならぬならば、斯ういう工合にしたら窮屈で無くすむであろうと思うた事がある。併し幾ら斯んなにして見た所が棺の蓋を蔽てコンコンと釘を打ってしまったら、それでおしまいである。棺の中で生きかえって手足を動かそうとした所で最早何の効力もない。其処で棺の中で生きかやった時に直ぐに棺から這い出られるという様な仕組みにしたいという考えも起こる。

 棺の窮屈なのは仕方が無いとした所で、其棺をどういう工合に葬むられたのが一番自分の意に適っているかと尋ねて見るに、先ず最も普通なのは土葬であるが、其土葬という事も余り感心した葬り方ではない。誰れの棺でも土の穴の中へ落し込む時には極めていやな感じがするものである。況して其棺の中に自分の死骸が這入っておると考えると、何ともいえぬ厭な感じがする。寐棺の中に自分が仰向けになっておるとして考えて見玉え、棺はゴリゴリゴリドンと下に落ちる。施主が一鍬入れたのであろう、土の塊りが一つ二つ自分の顔の上の所へ落ちて来たような音がする。其のあとはドタバタドタバタと土は自分の上に落ちて来る。またたく間に棺を埋めてしまう。そうして人夫共は埋めた上に土を高くして其上を頻りに踏み固めている。もう生きかえってもだめだ、いくら声を出しても聞こえるものではない。自分が斯んな土の下に葬むられておると思うと窮屈とも何ともいいようが無い。六尺の深さならまだしもであるが、友達が親切にも九尺でなければならぬというので、九尺に掘[#「掘」は底本では「堀」]って呉れたのはいい迷惑だ。九尺の土の重さを受けておるというのは甚だ苦しいわけだから此上に大きな石塔なんどを据えられては堪まらぬ。石塔は無しにしてくれとかねがね遺言して置いたが、石塔が無くては体裁が悪いなんていうので大きなやつか何かを据えられては実に堪まるものじゃ無い。

 土葬はいかにも窮屈であるが、それでは火葬はどうかというと火葬は面白くない。火葬にも種類があるが、煉瓦の煙突の立っておる此頃の火葬場という者は棺を入れる所に仕切りがあって其仕切りの中へ一つ宛棺を入れて夜になると皆を一緒に蒸焼きにしてしまうのじゃそうな。そんな処へ棺を入れられるのも厭やだが、殊に蒸し焼きにせられると思うと、堪まらぬわけじゃないか。手でも足でも片っぱしから焼いてしまうというなら痛くてもおもい切りがいいが蒸し焼きと来ては息のつまるような、苦しくても声の出せぬような変な厭やな感じがある。其上に蒸し焼きなんというのは料理屋の料理みたようで甚だ俗極まっておる。火葬ならいっそ昔の穏((ママ))坊的火葬が風流で気が利いているであろう。とある山陰の杉の木立が立っておるような陰気な所で其木立をひかえて一つの焼き場がある。焼き場というても一寸した石が立っておる位で別に何の仕掛けもない。唯薪が山のように積んである上へ棺を据えると穏坊は四方から其薪へ火をつける。勿論夜の事であるから、炎々と燃え上った火の光りが真黒な杉の半面を照して空には星が一つ二つ輝いでおる。其処に居る人は附添人二人と穏坊が一人と許りである。附添の一人が穏坊に向て「穏坊屋さん、何だか凄い天気になって来たが雨は降りゃアしないだろうか」と問うと、穏坊はスパスパと吹かしていた煙管を自分の腰かけている石で叩きながら「そうさねー、雨になるかも知れない」と平気な声で答えている。「今降り出されちゃア困まってしまう、どうしたらよかろう」と附添の一人が気遣わしげにいうと、穏坊は相変らず澄ました調子で「すぐ焼けてしまいまする」などといっておる。火に照らされている穏坊の顔は鬼かとも思うように赤く輝いでいる。こんな物凄い光景を想像して見ると何かの小説にあるような感じがして稍興に乗って来るような次第である。併し乍ら火がだんだんまわって来て棺は次第に焼けて来る。手や足や頭などに火が附いてボロボロと焼けて来るというと、痛い事も痛いであろうが脇から見て居ってもあんまりいい心持はしない。おまけに其臭気と来たらたまった者じゃない。併し其苦痛も臭気も一時の事として白骨になってしまうと最早サッパリしたものであるが、自分が無くなって白骨許りになったというのは甚だ物足らぬ感じである。白骨も自分の物には違い無いが、白骨許りでは自分の感じにはならぬ。土葬は窮屈であるけれど自分の死骸は土の下にチャーンと完全に残って居る、火葬の様に白骨になってしまっては自分が無くなる様な感じがして甚だ面白くない。何も身体髪膚之を父母に受くなどと堅くるしい理窟をいうのではないが、死で後も体は完全にして置きたいような気がする。

 土葬も火葬もいかぬとして、それでは水葬はどうかというと、この水というやつは余り好きなやつで無い。第一余は泳ぎを知らぬのであるから水葬にせられた暁にはガブガブと水を飲みはしないかと先ずそれが心配でならぬ。水は飲まぬとした所で体が海草の中にひっかかっていると、いろいろの魚が来て顔ともいわず胴ともいわずチクチクとつつきまわっては心持が悪くて仕方がない。何やら大きな者が来て片腕を喰い切って帰った時なども変な心持がするに違いない。章魚(たこ)や鮑(あわび)が吸いついた時にそれをもいでのけようと思うても自分には手が無いなどというのは実に心細いわけである。

 土葬も火葬も水葬〈も〉皆いかぬとして、それなれば今度は姥捨山見たような処へ捨てるとしてはどうであろうか。棺にも入れずに死骸許りを捨てるとなると、棺の窮屈という事は無くなるから其処は非常にいい様であるが、併し寐巻の上に経帷子(きょうかたびら)位を着て山上の吹き曝しに棄てられては自分の様な皮膚の弱い者は、すぐに風を引いてしまうからいけない。それでチョイと思いついたのは、矢張寐棺に入れて、蓋はしないで、顔と体の全面丈けはすっかり現わして置いて、絵で見た或国の王様のようにして棄てて貰うてはどうであろうか。それならば窮屈にもなく、寒くもないから其点はいいのであるが、それでも唯一つ困るのは狼である。水葬の時に肴につつかれるのはそれ程でもないが、ガシガシと狼に食われるのはいかにも痛たそうで厭やである。狼の食ったあとへ烏がやって来て臍を嘴でつつくなども癪に触った次第である。

 どれもこれもいかぬとして今一つの方法はミイラになる事である。ミイラにも二種類あるが、エジプトのミイラというやつは死体の上を布で幾重にも巻き固めて、土か木のようにしてしまって、其上に目口鼻を彩色で派手に書くのである。其中には人がいるのには違いないが、表面から見てはどうしても大きな人形としか見えぬ。自分が人形になってしまうというのもあんまり面白くはないような感じがする。併し火葬のように無くなってもしまわず、土葬や水葬のように窮屈な深い処へ沈められるでもなし、頭から着物を沢山被っている位な積りになって人類学の参考室の壁にもたれているなども洒落ているかもしれぬ。其外に今一種のミイラというのはよく山の中の洞穴の中などで発見するやつで、人間が坐ったままで堅くなって死んでおるやつである。こいつは棺にも入れず葬むりもしないから誠に自由な感じがして甚だ心持がよいわけであるが、併し誰れかに見つけられて此ミイラを風の吹く処へかつぎ出すと、直ぐに崩れてしまうという事である。折角ミイラになって見た所が、すぐに崩れてしもうてはまるで方なしのつまらぬ事になってしまう。万一形が崩れぬとした所で、浅草へ見世物に出されてお賽銭を貪る資本とせられては誠に情け無い次第である。
 死後の自己に於ける客観的の観察はそれからそれといろいろ考えて見ても、どうもこれなら具合のいいという死にようもないので、なろう事なら星にでもなって見たいと思うようになる。

 去年の夏も過ぎて秋も半を越した頃であったが或日非常な心細い感じがして何だか呼吸がせまるようで病牀で独り煩悶していた。此時は自己の死を主観的に感じたので、あまり遠からん内に自分は死ぬるであろうという念が寸時も頭を離れなかった。斯ういう時には誰れか来客があればよいと待っていたけれど生憎誰れも来ない。厭な一昼夜を過ごしてようよう翌朝になったが矢張前日の煩悶は少しも減じないので、考えれば考える程不愉快を増す許りであった。然るにどういうはずみであったか、此主観的の感じがフイと客観的の感じに変ってしまった。自分はもう既に死んでいるので小さき早桶の中に入れられておる。其早桶は二人の人夫にかかれ二人の友達に守られて細い野路を北向いてスタスタと行っておる。其人等は皆脚袢(きゃはん)草鞋(わらじ)の出立ちでもとより荷物なんどはすこしも持っていない。一面の田は稲の穂が少し黄ばんで畦の榛の木立には百舌鳥(もず)が世話しく啼いておる。早桶は休みもしないでとうとう夜通しに歩いて翌日の昼頃にはとある村へ着いた。其村の外れに三つ四つ小さい墓の並んでいる所があって其傍に一坪許りの空地があったのを買い求めて、棺桶は其辺に据えて置いて人夫は既に穴を掘っておる。其内に附添の一人は近辺の貧乏寺へ行て和尚を連れて来る。やっと棺桶を埋めたが墓印もないので手頃の石を一つ据えてしまうと、和尚は暫しの間廻((ママ))向して呉れた。其辺には野生の小さい草花が沢山咲いていて、向うの方には曼珠沙華も真赤になっているのが見える。人通りもあまり無い極めて静かな瘠村の光景である。附添の二人は其夜は寺へ泊らせて貰うて翌日も和尚と共にかたばかりの回向をした。和尚にも斎をすすめ其人等も精進料理を食うて田舎のお寺の座敷に坐っている所を想像して見ると、自分は其場に居ぬけれど何だかいい感じがする。そういう具合に葬むられた自分も早桶の中であまり窮屈な感じもしない。斯ういう風に考えて来たので今迄の煩悶は痕もなく消えてしもうてすがすがしいええ心持になってしもうた。

 冬になって来てから痛みが増すとか呼吸が苦しいとかで時々は死を感ずるために不愉快な時間を送ることもある。併し夏に比すると頭脳にしまりがあって精神がさわやかな時が多いので夏程に煩悶しないようになった。



底本:「日本の名随筆8 死」作品社
     1983(昭和58)年3月25日第1刷発行
     1991(平成3)年9月1日第17刷発行

底本の親本:「子規全集 第一二巻」講談社   1975(昭和50)年10月



字餘りの和歌俳句

  • 2009/10/30(金) 00:02:13

 短歌三十一文字と定まりたるを三十二文字乃至三十六文字となし俳諧十七字と定まりたるを十八字乃至二十二三字にも作る事あり。これを字餘りと云ふ。而して字餘りを用うるは例外の場合にて常に用うべきにあらずとは歌人俳諧師等が一般に稱へ來れる掟なり。されど此掟程謂(いは)れなき者はあらじ。

 三十一文字と定め十七文字と定めし事もと是れ人間が勝手につくりし掟なればそれに外れたりとて常に用うべきにあらずとは笑ふべき謬見(びうけん)なり。字餘りと云ふ文字を用うればこそ此謬見も起るなれ、試みに字餘りと云ふ文字の代りに三十二字の和歌三十三字の和歌十八字の俳句十九字の俳句と云ふが如き文字を用ゐなば字餘りは是れ字餘りにあらずして一種新調の韻文なる事を知るに足らん。新調の韻文を作るに何の例外と云ふ事あらんや。

 或人曰く字餘りの和歌俳句は句調あしく口にたまる心地す故に好んで用うべからずと。稍※(二の字点、1-2-22)ことわりあるに似たれど再び考ふればこれも亦謂れなき事なり。句調惡しとか口にたまるとか言ふは三十一字又は十七字を標準としての上にて言ふものにして例へば十七字卅一字のつもりにて吟ぜし者が十九字卅三字等ならんか自ら句調惡しく口にたまらざるを得ず。是れ其句切りの長短、發音の伸縮など總て三十一字十七字に適して三十一字十七字以外に適せざればなり。初めより十八九字又は三十二三字の覺悟にて之を吟ずるか若しくは虚心平氣にて敢(あへ)て三十一字十七字と豫定せずして之を吟じなば句調のあしき處もあらざるべし。先づ入る者は主と爲るとか十七字三十一字と古き世より定まれるが故に耳も口も此調に許(ばか)り馴れたるものとおぼし。

 さりながら習慣の外に句調の善惡と言ふ事なきに非ず。例へば「五」「七」と云ふは調子善きものなれば漢詩には「五言(ごごん)」「七言(しちごん)」多く日本には「五七調」又は「七五調」多きなるべし。されどもこれを以て唯一の好調となすは固(もと)より僻見のみ。

 世人多くは曰く好んで字餘りの句を爲すは徒に新を弄し奇を衒(げん)する者なりと。何の言ぞや。彼等は針小の眼孔を以て此貴重なる韻文を自己の狹隘なる感情の範圍内に置かんと欲する者に非(あらざ)るを得んや。今少し眼を開いて見よ。支那古詩の結尾には一句十餘字の長句あるを見るべし。是れ其結末を振はしむる爲めには最も必要なるなり。これと同じく和歌俳句の上にも語勢を強くする爲に字餘りを用うる事已むを得ざる者にしてある人の言ふが如く新を弄し奇を衒するに非るなり。

 況(いは)んや三十一字の和歌十七字の俳句は古來より言ひ古して大方は陳腐に屬し熟套(じゆくたう)に落ちし今日少くとも三十二三字又は十八九字の新調を作るの必要を見る。余は向後先づ此一點より漸次陳套を脱せんとするの志あり。彼の卑俗なる都々一すら初めは七、七、七、五のみの句調なりしを後には五、七、七、七、五の句調を爲し又は七、七、八、五の句調を爲すに至れり。都々一此進歩を爲す。歌人俳諧師たる者何ぞ猛省せざるや。

 和歌の字餘りには古來遵奉(じゆんぽう)し來れる法則あり。即はち「ア」「イ」「ウ」「オ」の四母音ある句に限り字餘りを許したるなり。是れ三十一字を標準としたる考へよりすれば至當の事なれども前に述べし如く字餘りを姑息(こそく)なる例外物となさずして一種の新調と爲す上は母音子音の區別はあながちに之れを言ふを要せざるなり。


〔日本 明治27[#「27」は縦中横]・8・20[#「20」は縦中横]〕



底本:「子規全集 第七卷 歌論 選歌」講談社
   1975(昭和50)年7月18日第1刷発行

初出:「日本」 1894(明治27)年8月20日


九月十四日の朝-病牀に於て

  • 2009/10/18(日) 15:02:44

 朝蚊帳の中で目が覺めた。尚半ば夢中であつたがおい/\といふて人を起した。次の間に寝て居る妹と、座敷に寐て居る虚子とは同時に返事をして起きて來た。虚子は看護の爲にゆふべ泊つて呉れたのである。雨戸を明ける。蚊帳をはづす。此際余は口の内に一種の不愉快を感ずると共に、喉が渇いて全く濕ひの無い事を感じたから、用意の爲に枕許の盆に載せてあつた甲州葡萄を十粒程食つた。何ともいへぬ旨さであつた。金莖の露一杯といふ心持がした。斯くてやう/\に眠りがはつきりと覺めたので、十分に體の不安と苦痛とを感じて來た。今人を呼び起したのも勿論それだけの用はあつたので、直ちにうちの者に不淨物を取除けさした。余は四五日前より容態が急に變つて、今迄も殆ど動かす事の出來なかつた兩脚が俄に水を持つたやうに膨れ上つて一分も五厘も動かす事が出來なくなつたのである。そろり/\と臑皿の下へ手をあてがうて動かして見やうとすると、大盤石の如く落着いた脚は非常の苦痛を感ぜねばならぬ。余は屡種々の苦痛を經験した事があるが、此度の様な非常な苦痛を感ずるのは始めてゞある。それが爲に此二三日は余の苦しみと、家内の騒ぎと、友人の看護旁(かたがた)訪ひ來るなどで、病室には一種不穩の徴を示して居る。昨夜も大勢來て居つた友人(碧梧桐、鼠骨、左千夫、秀真、節)は歸つてしまうて余等の眠りに就たのは一時頃であつたが、今朝起きて見ると、足の動かぬ事は前日と同じであるが、昨夜に限つて殆ど間斷なく熟睡を得た爲であるか、精神は非常に安穩であつた。顏はすこし南向きになつたまゝちつとも動かれぬ姿勢になつて居るのであるが、其儘にガラス障子の外を靜かに眺めた。時は六時を過ぎた位であるが、ぼんやりと曇つた空は少しの風も無い甚だ靜かな景色である。窓の前に一間半の高さにかけた竹の棚には葭簀(よしず)が三枚許り載せてあつて、其東側から登りかけて居る絲瓜は十本程のやつが皆瘠せてしまうて、まだ棚の上迄は得取りつかずに居る。花も二三輪しか咲いてゐない。正面には女郎花が一番高く咲いて、鷄頭は其よりも少し低く五六本散らばつて居る。秋海棠は尚衰へずに其梢を見せて居る。余は病氣になつて以來今朝程安らかな頭を持て靜かに此庭を眺めた事は無い。嗽(うが)ひをする。虚子と話をする。南向ふの家には尋常二年生位な聲で本の復習を始めたやうである。やがて納豆賣が來た。余の家の南側は小路にはなつて居るが、もと加賀の別邸内であるので此小路も行きどまりであるところから、豆腐賣りでさへ此裏路へ來る事は極て少ないのである。それで偶珍らしい飲食商人が這入つて來ると、余は奬勵の爲にそれを買ふてやり度くなる。今朝は珍しく納豆賣りが來たので、邸内の人はあちらからもこちらからも納豆を買ふて居る聲が聞える。余も其を食ひ度いといふのでは無いが少し買はせた。虚子と共に須磨に居た朝の事などを話しながら外を眺めて居ると、たまに露でも落ちたかと思ふやうに、絲瓜の葉が一枚二枚だけひら/\と動く。其度に秋の涼しさは膚に浸み込む様に思ふて何ともいへぬよい心持であつた。何だか苦痛極つて暫く病氣を感じ無いやうなのも不思議に思はれたので、文章に書いて見度くなつて余は口で綴る、虚子に頼んで其を記してもらうた。筆記し了へた處へ母が來て、ソツプは來て居るのぞ〈な〉といふた。

子規子逝く
九月一九日午前
一時遠逝せり



底本:「日本の名随筆19 秋」作品社
   1984(昭和59)年5月25日第1刷発行
   1991(平成3)年9月1日第12刷発行

底本の親本:「子規全集 第一二巻」講談社
   1975(昭和50)年10月


鎌倉一見の記

  • 2009/10/09(金) 14:03:14

 面白き朧月のゆふべ柴の戸を立ち出でゝそゞろにありけばまぼろしかと見ゆる往來のさまもなつかしながら都の街をはなれたるけしきのみ思ひやられて新橋までいそぎぬ。終りの列車なるにはや乘れといふにわれおくれじとこみ入れば春の夜の夢を載せて走る汽車二十里は煙草の煙のくゆる間にぞありける。

蛙鳴く水田の底の底あかり

 藤澤の旅籠屋を敲いて一夜の旅枕と定む。朝とく目さむれば裏の藪に鳴く鶯の一聲二聲もうれしく、

鶯やおもて通りは馬の鈴

鶯や左の耳は馬の鈴

 いづれかよからん蕉風檀林のけぢめにやなど思ふも僭上の沙汰なるべし。一番の汽車にて鎌倉に赴く道々うかみ出づる駄句の數々、

岡あれば宮宮あれば梅の花

家一つ梅五六本こゝも/\

旅なれば春なればこの朝ぼらけ

 先づ由井が濱に隱士をおとづれて久々の對面うれしやと、とつおいつ語り出だす事は何ぞ。歌の話發句の噂に半日を費したり。即景。

陽炎や小松の中の古すゝき

春風や起きも直らぬ磯馴松

 ひとりふら/\とうかれ出でゝ繩手づたひにあゆめば、行くともなしに鶴が岡にぞ著きにける。銀杏を撫で石壇を攀ぢ御前に一禮したる後瑞垣に憑(よ)りて見下ろせば數百株の古梅ややさかりを過ぎて散りがてなるも哀れなり。

銀杏とはどちらが古き梅の花

 建長寺に詣づ。數百年の堂宇松杉苔滑らかに露深し。

陽炎となるやへり行く古柱

 圓覺寺は木立晝暗うして登りては又登る山の上谷の陰草屋藁屋の趣も尊げなるに坐禪觀法に心を澄ます若人こそ殊勝なれ。

 其夜は由井の浦浪を聞きつゝ夜一夜旅の勞れの寢心にくたびれたる兩足踏みのばせし心よさ。曙の頃隱士と某と三人して濱邊より星月夜の井に到る。

鎌倉は井あり梅あり星月夜

 長谷の觀音堂に詣でゝ見渡す山の名所古蹟隱士が指さす杖のさき一寸の内にあつまりたり。

歌にせん何山彼山春の風

 こゝは何、かしこは何、日蓮の高弟日朗の土窟は此奧なりなど一々に隱士の案内なり。大佛は昔にかはらぬ御姿ながらもその御心には數百年の夢幻何とか觀じ給ふらん。きのふ見し人はけふ見る人にあらず、けふ見る人は明日見ん人にもあらず。況して今の人七百年の昔も知らねば七百年の昔いかでか今の世を推し量らん。

大佛のうつら/\と春日かな

 此の夜はまた隱士の家に宿る。「浪音高し汐や滿つらん」と頻りに口ずさみて上の句置き煩へる隱士の聲ほのかになりて我夢はいづくの山をか、かけ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)りし。翌日は雪の下に古蹟を探る。興亡の感くさ/\に起りてそゞろに胸を衝く思ひなり。

高とのゝ三つは四つはのあと問へば麥の二葉に雲雀なくなり

いつのよの庭のかたみを賤か家の垣ねつゝきに匂ふ梅の香

 頼朝の墓こゝぞと上り見れば蔦にからまれ苔に蒸されたる五輪の塔一つ、これが天下の總追捕使のなれのはてにぞありける。鎌倉の宮に詣で、神前に跪けば何とはなしにはや胸ふたがりてはふり落つる涙はらひもあへず。

梅が香にむせてこぼるゝ涙かな

 泣く/\鎌倉を去りて再び歸る俗界の中に筆を採りて鎌倉一見の記とはなしぬ。



底本:「現代日本紀行文学全集 東日本編」ほるぷ出版
   1976(昭和51)年8月1日初版発行

初出:「日本」 1893(明治26)年3月


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